愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



花閉じの静寂*1  ||―ハナトジ ノ シジマ―

 昼前でも陽射しはぎらつき、道の先はゆらゆらしていた。暑い。あまり風もないからなおさらだ。
 センはゆらめく道の先をぼんやりと眺めていた。庇(ひさし)につるした風鈴が、申し訳程度にちりんと鳴った。
「センさん、昼飯を持ってきたよ」
そう声をかけてから、弥久が部屋に入ってきた。持ってきた膳を置くと、不安そうな顔をセンに向ける。
「なあ、言われた通りにしておいたんだけど、大丈夫かな」
声をひそめて外を見つめる。
「うん、きっと大丈夫だよ。弥久さん、ありがとう」
 センは笑顔で言ってから、目の前に広げた旅支度をあらためた。きっと他の旅人に比べたらかなり少ない。手拭い、笠、わずかな着替えなど。これでもセンにしては多い方なのだ。弥久がいろいろ用意してくれた。
 センは源衛たちには黙って和泉宿を出ていくつもりでいる。
「なあ、センさんの刀、盗まれたりしないかな」
弥久はそわそわしている。
 弥久には朝早く、センの刀を木戸に近い稲荷に隠しておいてもらった。社があるというので、中の暗がりに置いてもらった。あとはセンがふらりと水色屋を出て、刀を持って木戸を抜ければいい。
「センさん、俺のせいで本当にごめん」
「気にしないで、本当に。俺がそうしてほしいってお願いしたんだから」
 センがいきなり消えてしまうと水色屋は少し騒ぎになるかもしれないが、弥久がセンの刀を隠したということをばらしたくない。いきなり刀が見つかったという白々しい嘘をつくのも嫌だった。
「これでいいんだよ、本当に。あんまりおおげさに見送られるのも苦手だし」
「でも、センさんは夜依を助けてくれたし、クルイを追っ払ってくれたんだ。堂々と出発するべき人なのに、俺も見送りに行けないなんて」
 昼過ぎといえば料理場の弥久はまだまだ忙しい盛りで、見送りのために内緒で水色屋を出てこられない。
 弥久は昨日から見送れず申し訳ないと言うが、本当にこれでいいのだ。
「数とか見送られ方なんて関係ないんだよ。大切な人に送り出してもらった方が嬉しいなあ」
気にするな、という思いを込めて笑って言った。
(あれ?)
弥久は暗い表情を引っ込めたものの、今度は口をぽかんとあけて、眉間にしわを寄せている。
「弥久さん? なんか顔が……」
 頬が急に赤くなったようだ。手を伸ばして触れようとすると、
「ちょっ、わ、う……わあぁっ」
(は?)
弥久が両手で顔を覆い叫んだ。
「そんな大声だしたら誰か来ちゃうよ」
「せせせ、センさん! あんた、見境ねぇな! 一瞬、くらっときたぞ!」
「え?」
「自分がわかってねぇのが、一番始末悪ぃ」
今度は大きくため息をついた。
「さっきからなんの話してるの、弥久さんは」
「ははは、ごめん気にするな、センさんは嫌味なくらいもてるんですねぇっていうだけだから」
「はあ」
(本当に意味がわからない)
これ以上構ってくれるなということだろうか。それならこれ以上聞くのは悪いし、弥久の頬の赤みも引いているので、話を元に戻した。
「そう言えば、俺が出ていくことを誰かに言った?」
「ああ、夜依に」
 夜依の名を口にし、弥久の顔が再び曇る。
「センさんには世話になったし、夜依は湯場だから昼過ぎならまだ抜け出せるだろうから見送ってこいって言ったんだ」
「そんな、いいよ」
「でも『嫌だ』って言って逃げちまうし」
「えっ、俺なんかしちゃったのかな」
嫌だと言われるとは意外だった。
 ここ数日、夜依とは顔を合わせていない。夜依に何かあったと言えば、あの夜、クルイに襲われたことだろう。
(いや、どっちかっていうと、その場に利彦さんがいたことか)
「センさんのせいとかじゃないんだぜ。ただ、まだあいつ変でさ。何があったんだか」
困っちまうな、と言って力なく弥久は笑った。
 言うべきかと考え、すぐにやめる。弥久にあの夜のことを話したところで、夜依を元気にすることは出来ないだろう。弥久まで今以上の不安を抱えることになる。
 そんなことを考えていると、ちょうど弥久が調理場に呼ばれた。忙しい時間なのだ。
「センさん、あとで握り飯くらいだけど弁当もってくるから。夜にでも食えるようにさ。それまでは待っててくれ」
「うん、ありがとう」
 和泉宿、水色屋を離れる時になって再び、しみじみと実感する。
 弥久に会えて良かった、と。



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