千。



大禍時のちとせ呪い*3  ||オオマガドキ ノ チトセノロイ

 今センと雪村が生きていられるのは、小平次の力によるところか大きいらしい。あの夜、詰め所に雪村も灼尊もいないことを不審に思った小平次は森の中を探した。そこで惨状を見つける。あの状況で冷静に対処できたのは、流石ハチロクと言うべきだろう。
 小平次はまず、火を焚いた。獣避けでもあるし、クルイも明るいところにわざわざ出てくることはまずない。そうしておいて、夕凪を叱咤しセンを詰め所に運び、次は雪村。ふたりの手当てを終えた頃には、陽が昇り始めていた。その後、嫌がる夕凪を無理やり家に送り届けた。
「灼尊のことも、小平次が見つけていなければ大騒ぎになっていただろう……まあ、さすがに見つけた時は驚いたと言っていたが」
 雪村は少し疲れたように笑った。
「小平次がいてくれて、本当に助かった。そうでなければ全てが後手になって、ここでこうしてお前とゆっくり話すこともままならなかったかもしれない。礼を言っておけよ」
「はい」
 小平次がいなければ、あの惨状を発見したのは誰だっただろう。夕凪がいないことを心配したきく婆か、それとも村の人か。どちらにしても受け止めることは出来ない。放心した夕凪と死にかけの雪村、死んだセンを見てどう思うだろう。どんな想像もいい方向には導かれない。場合によっては、夕凪が村にいられなくなることだってあったかもしれない。
(本当に、良かった)
「夕凪にも礼を言え。お前が寝ている間ずっと看ていてくれたのはあの子だ」
(夕凪が……)
胸のあたりが鈍く重い。
「でも、俺は」
 もう夕凪に会うことはない。あれほど冷たく突き放したのだから、もう夕凪に会えないし、夕凪もそれを望まないだろう。
「雪村さん、言っておいてくれませんか」
「嫌だ」
雪村はふう、とため息を吐いた。
「本当にひどい奴だな、お前……一番辛いことだけ話して、あとは何も話さないでこのままあの子の前から消える気か」
力ない顔で雪村は夕凪が出ていった方を見た。
 責められている気がした。どうすれば良かったというのか。夕凪は全部話してくれと言った。でも。唇の端を噛む。
(全部言えるわけ、ない。何も言えるわけ……)
「別にお前を責めているわけじゃない」
「え」
どこか仕方なさそうにくすりと雪村が笑う。
「本当にお前はわかりやすいな。私も全てを話すには、お前のことは剣呑過ぎると思う」
「雪村さん」
胸の内がざわざわする。これが予感というものか。
 雪村の話し方はまるで、センが夕凪に話したくなかった内容を知っているようじゃないか。
 どくりと、胸が鳴る。
(雪村さんは、何か知っている?)
「私には全て話してもらう」
すっと雪村の視線がセンを射抜いた。
 センは確信した。雪村は何かを知っている。
(雪村さんは、何を知っている?)
「いや、でも、あの」
意味のある言葉が出てこない。
 雪村がゆっくり首を振る。駄々をこねる子を諭すような仕草だ。
「話しなさい――千朱原 千雨」
「……っ! は、あ」
あ、と大口を開いた形で表情が固まる。かっと体に血が巡った。頭が真っ白、とは今のことを言うのだろう。
 しばらくすると大口にも疲れ、自然と力のない笑みに変わる。
「何かを知っているとは思っていたけど、まさか名前を呼ばれるとは思いませんでした。あなた何者です、雪村さん」
雪村は平然と続ける。
「私自身、どうしてお前は千朱原千雨なんじゃないかと思ったのか不思議だ。生きている者ならともかく、千朱原千雨は死んでいるはずなのだから」
「でしょうね」
センは苦笑した。
 千朱原千雨――これがセンの、本当の名。十年前に呼ぶ人を失くした名。
 千朱原とは、ハチロクの総領家のみが名乗る家名。
「いつ気づいたんですか」
雪村は唇の端を親指でなぞり、考える素振りを見せた。
「セン、という名を聞いた時、何となく頭の中に千朱原の千が浮かんだ。そこから何故か千雨の名が浮かんだ。いや、正確にはその存在を思い出しただけなんだが。千影様の亡くなられた子も生きていれば、このくらいだなと。だからといってすぐにお前と千雨を結んだわけじゃないが……しかし、香和という子どもはそれでわかったのかもしれないな」
「そういえば初めて灼尊さんに会ったとき、やたらセンという名を繰り返していた気がする」
あれは、センという名を千に当てはめていたのか。容姿や年齢は狂環師の間では出回っているのかもしれない。それに当てはまる、センという名の人間。千朱原千雨。
(あんまりにも単純な偽名かな)
初めて名を偽った時、自然とセンと名乗っていた。
(でも今度から違う名前にしようかな)
 今回のようにばれで狂環師に襲われたのではたまらない。どんな名前が良いかな、と考えはじめるセンを置いて、雪村が話す。
「正直に話すが、私は今の今まで、お前が千朱原千雨だという自信はなかった」
「え、そうなんですか」
「ああ、素直に鎌にかかってくれて助かった」
「はあ」
雪村が嬉しそうに笑った。無邪気な笑みだが、やっていることは打算的だ。
(やっぱり雪村さんには敵わないな)
センは苦笑した。さっきから苦笑しっぱなしだ。



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