千。



大禍時のちとせ呪い*2  ||オオマガドキ ノ チトセノロイ

 夕凪がいなくなり、息をつく。あそこまではっきり言ったのだ、夕凪だってもうセンに関わろうとはしないだろう。
(さよなら、夕凪)
「可哀想なことをするな、お前も」
 ふいに聞こえた声に、背筋がひやりとした。とっさに声の主の方を見、無理に動かした体が悲鳴を上げる。
「いっ」
「無理に動かなくていい。私の声が聞こえていれば」
「……雪村さん」
壁に雪村が寄りかかっていた。懐手し、はだけた襟元からのぞく胸には白布が巻かれている。センの最後の記憶より、青白くやつれたように見えた。
(なんか儚げな雰囲気が増して、ますます綺麗だな)
場違いもいいところだが、思ってしまったものは仕方がない。
 センの心中など知るよしもなく、雪村が聞いてくる。
「七日ぶりに目覚めた気分はどうだ」
「なの、か」
(そんなに寝ていたのか)
「傷は痛まないか」
「あ、はい。たぶん、もうほとんど治っていると思います」
センを見つめる雪村の瞳が微かに細くなる。
「すごいな。クルイじゃなかったら、今ごろ死んでいた」
雪村の声は静かだった。センはじっと雪村を見て、知らぬ間に聞いていた。
「……俺を、殺しますか?」
乾いた声が出た。
 雪村はハチロクだ。ハチロクの仕事はクルイを殺すことだ。センはクルイ。だから雪村がセンを殺すと言ってもそれは責められることじゃない。それでも、センの中にちらり、と恐怖がかすめた。
(夢の中じゃ、死んでもいいって思ってたのに)
ぎゅときつく、手を握る。
「誰が殺すなんて言った。どうしてそう、考え方が暗いんだ……若いのに」
「でも、俺はクルイで、だから」
「ハチロクの仕事は、目の黒い奴を殺すことじゃない。そんなことも知らないのか、お前は」
雪村はちょっと苦笑し、すぐに元の涼やかな顔に戻った。
「別に私は嫌味を言ったわけでも、お前がクルイだからどうだと言いたいわけでもない。お前が死ななくて良かった、そういう意味だ」
センが何も言わないでいると、雪村はやれやれと言った感じで肩をすくめる。
「私もクルイにされていなかったら、助かっていなかっただろう。そういう意味では私とお前は同じだ。私は自分が死ななくて良かったと思っている。……お前も、そう思え」
「……はい」
空しい返事だ。
(生きてて良かったなんて、思っていいはずないのに)
第一、雪村がクルイにされかかったのはセンのせいだ。雪村から目を逸らし、奥歯を噛み締めた。
 センも雪村も、話さなかった。静かな時が流れる。時おり外から小鳥の声が聞こえた。
 小鳥がちゅんちゅんと鳴いた何度目か、ふいに雪村が「ふー」と長いため息を吐いた。見ると、雪村を壁に背をあずけ天井を仰ぎ見ていた。
「あまり届かなかったか。仕方のない奴だ」
「ごめんなさい」
センが謝ると雪村はふふっと声を出して苦笑いした。
「お前には何を言っても虐めているみたいになるな。なら私が一方的に話そうか、今回の首尾を」
「……灼尊さんは、どうなりました」
 センは雪村の顔を見ることができなかった。目を逸らして聞いた。どうなったかと聞くのは意味のないことだとわかっていた。セン自身、目で見ているのだから。雪村の口からわざわざ言わせるのは酷なことである。それでも、わずかな希望を。
「死んだ」
雪村の声はとても無感情だった。思わずセンは、その顔を見る。声と同じく感情は見当たらない。きっぱりと、雪村は言いきる。
「お前のせいじゃない」
「でもっ」
「夕凪からあらましは聞いている……おそらく、香和童子に入られた時点で灼尊は死んでいたんだ。お前のせいじゃない」
(でも、俺がいなければ……)
灼尊はもう少し灼尊でいられたんじゃないだろうか。
 センを殺せば箔が付く、と香和童子は言った。だから香和童子はわざわざ雪村をクルイにしようとし、灼尊の皮を脱ぎ捨て自らセンと戦ったのだろう。だから――。
「ごめんなさい」
「いい加減にしろ」
雪村は声を荒げた。低い声が怖い。センは首を縮めた。
「全てがお前のせいでどうにかなるほど、世の中はやわじゃない」
「ごめ……はい、わかりました」
センは口をつぐむ。口を開いたら、謝る言葉しか出てきそうにない。クルイでごめんなさい、殺してしまってごめんなさい、生きていてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。
 雪村も激したきり、また黙り込んだ。何か言わなければと思うのだが、何を言っても怒られそうで怖くて、センも黙っていた。かなり黙り込んでから、ようやく雪村の沈黙に怒りがないことがわかった。これはただセンの発言を待つような穏やかな沈黙だ。ぐるぐると冷たく渦巻く心が、凪いでいく。
「あの、雪村さん」
 声を出す。
「なんだ」
「灼尊さんの亡き骸は、どうしましたか」
墓の前でせめて謝りたかった。やっぱり今のセンには謝ることしかできない。
「内々に央都に運ばせた。……普通の死に方ではなかったから、調べた方がいいだろうと思ってな。そういうのに詳しいのがいるんだ」
「そう、ですか」
今すぐ謝ることは出来ないらしい。
 目を伏していたが、ふと雪村の視線が気になった。センを見ているのだが、心ここに非ずな感じがする。
「……ちあき」
雪村の口からこぼれおちた名前。
「え?」
ちあき、と言ったのか。
(誰だ)
「知っているか」
センの目をまっすぐに見つめ、雪村が聞いてくる。知らない。首を横に振る。
「誰なんですか、ちあき、さん? って」
問うたが雪村も首を横に振る。
「いや、知らないならいいんだ、別に」
 それから雪村は、淡々と事の顛末を話した。



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