四秘籠―ヨツヒコ―



四秘籠の参*和尚

 誰にも言っちゃあいけないよ。まあ儂のような耄碌糞坊主の言うことを信じる人間なんて、この村にいないだろうけどなぁ。
 最初に断わっておくが、儂は惚けておらんよ。この通り、頭の方は冴えておる。え、何故惚けたふりをするのかって……面白いからさ。面白い、ただそれだけさ。人が悪い坊主だだって言うのかい。はは、あんたもわかっておらんのう。突き詰めれば、「人は悪い」のさ。
 そうだな。あんたが聞きたがっている林蔵のことだが、あやつは一時、儂の寺で預かっておった。不思議な男だったよ。目が見えないって言うわり、初めての場所でもやけに奇麗な動き方をするし、襤褸を着ていたが顔立ち自体は色男さ。しかもあの男、たまに己もそれがわかっているみたいに笑うんだぜぇ。
 まあ一言でいえば、儂はあの男、林蔵のことが嫌いだった。……あん、僻(ひが)んじゃおらんよ。
 …………ほう。よくわかったなぁ、あんた。確かに、儂と林蔵の間にはひとつだけ、変わったことがあった。そう、あれは胸糞の悪い出来事だった。あぁ、良いだろうとも、話してやるさ。ただぁし、誰にも言っちゃあいけないよ。
 ――――――――。
 鳥が不気味な声で鳴く夜だった。がらんとした堂で蝋燭をひとつだけ灯し、儂は経を読んでいた。惚けたふりをしていても、読経だけはちゃんとするよ、儂はね。儂がからかって面白がるのは生きた人間だけじゃもの。死んだ人間に礼を欠く真似はしないさ、こんな糞坊主でも。
 ふと気付くと、部屋の隅には林蔵が座っていた。気配も何にも感じさせずに現れたから、儂は内心でぎくりとしたよ。いくら背を向けているとはいえ、どうも人がいると調子が狂うからね、儂は寝たふりをすることにした。こっくりこっくり首をやって、林蔵がいなくなるのを待っていたんだ。これでも狸寝入りには自信があるんだ。
 そうしているうちに本当にうとうとしちまい始めた頃だった。
「和尚どの」
と、林蔵が儂の名を呼んだのは。儂は何も答えず、寝たふりを続けた。そしたら林蔵の奴、ひとりで話し始めやがった。
「起きておられるのでしょう」
私は全てわかっていますよ、っていうしゃべり方だよ、気にいらねぇ。
「なかなか酷い狸どのですね。お聞きしたいことがあるのです。……如何様な故があって貴方が惚けたふりをしているのかを、少し」
 あの言葉には参った。儂は思わず肩をぴくりと動かしちまった。林蔵は声こそ出さなかったが可笑しそうにくす、と笑った。雰囲気が伝わってきたんだ。惚けたふりをしてかれこれ十数年経っていたが、見破られたのは初めてだった。もう、悔しくて、悔しくて。林蔵を嫌いな理由の一つだな、これも。悔し紛れに儂は、
「おめぇこそ、目が見えるんだろう」
と殊更低い声で聞いてやったんだ。そしたら奴は何て答えたと思う。「はい」の一言だぜ。儂以上に酷ぇじゃねぇか。あいつの瞼の内になる瞳は、ちゃんと光を映すんだぜぇ。
「てめぇ、何が目的だい。見えねぇふりして、施しを受けようって野郎じゃねぇだろう」
惚けたふりをするふりはねぇから、思いきし低い声を出して聞いてやったのさ。だがよ、奴は、
「さあ」
と言いやがった。
 儂は奴の方を向いて、奴の顔を睨みつけた。奴は目を閉じたままだったからよぉ、
「目ぇ開けろ」
林蔵は口元に笑みを浮かべたまま頭(かぶり)を振った。
「和尚どの、そんな恐い顔をしないでください。駄目です、私の目を見せる人は生涯で一人と決めておりますから」
その言葉を聞いた時、儂の頭ん中にひとひらの赤が舞った。まさか、と口だけが動いた。奴は続けた。
「それに、この目を見る人間は不幸になりますよ」
「志保ちゃん、かい」
奴の笑みが濃くなった。濃くなっただけで、それ以上は何も言わなかった。
 それしか考えられなかったんだ。目っていう所がな、志保ちゃんを思わせるんだよ。儂ぁ、あの子のことが好きだったよ。本当に好きだった。誠一郎も真冴も、そもそもあの家の人間は人間味が薄くて嫌いだったが、あの子は別だった。あの子の幸せを願っていたよ、本当だよ、本当。
「志保ちゃんに手ぇ出すんじゃねぇ」
殊更声に凄みをもたせて言ってやったが、ちっ、奴の方が上だった。いや、儂も所詮はってことかな。最初も言っただろう、突き詰めれば人の悪い人なんていねぇ、人は悪ぃんだよ。
 林蔵はすぐさま言い返してきた。
「でもあなたは、それ以上言えないでしょう」
「なんだと」
「あなたは私の目が見えることを知っている。私が志保を狙っているという予測もつけている。けれどそれを惚けたふりをしたまま言ったところで誰か信じるでしょう。正気で言えばどうか知れないが、村の人々を欺いていたことをあなたは、自ら告白することになる……あなたにそれはできない」
綺麗な笑みだったよ。なんつうのかね、真冬に浮かぶ三日月みたいな、寒々しいもんだ。
「志保……あの娘を愛せる人間なんて、この世にいるのでしょうかね」
いないな、って何故か思った。あるだろう、考えて出た答えじゃなくて、すとんと思っちまったんだ。志保ちゃんは良い子だし可愛い、けれど愛されているかといったらそれは違ぇ。
 林蔵は突然立ち上がった。儂は思わずびくっと身を引いちまった。一瞬、ひやとした寒気が背を抜けてな、殺されるかと思った。林蔵はからかうように笑いやがった。何もせず儂に背を向け歩きだす。でもちょっと行ってから、ふとふり返って、ひどく落ち着いた声で言った。
「誰も彼も、結局は己が一番かわいいのですよ」
だから儂に志保を守ることはできない、と奴は暗に言った。
 実際、そうなったわけだ。その夜が明けて、次の朝、林蔵は誠一郎の家で働くことになった。それを志保ちゃんが望んだことだと聞き、儂は投げ出したね。ああ、もう駄目だって。
 ふたりは引き合っているんだ。
 儂は林蔵の秘密を知っている。けれど、それを皆に言いふらす気が失せちまった。やるやらないじゃなくて、やろうっていう気さえ失せた。もうなるようになれってな。なるようになって、林蔵が死に志保ちゃんが死に、真冴は狂い村一番の分限者の家は落ちた。
 きっと林蔵の目のせいだろうよ。やつは何がしたかったのかねぇ。
 あん、もういいってか。ああ、ああ、別に怒ってねぇよ。聞きたいことだけ聞いてさよならっていう、てめぇの根性を褒めているだけさ。林蔵のことを聞いて回って、どうするつもりだい。ふん、困った顔しやがって。そんな顔したって教える気はさらさらねぇってのがわかるぜ。心の中では澄ました笑みなんだろう、林蔵みたいに。
 さあ、もう行け行け。お前が持ってきた花は志保ちゃんの墓に供えておくからよぉ。ふた親にも参られない墓だ。二、三十年もしたら朽ち果てる墓だ。せめて赤い花を供えてやろうじゃねぇか。
 ああ、ああ、本当にもう行け。もうすぐ人が来るんだよ、儂の秘密がばれちまわぁ。かといって、もうてめぇの前で惚けたふりをするのは小恥ずかしいから。

 最後にもう一度念押すぜ。誰にも言っちゃあいけないよ。



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