呼び続ける。



2*上辺とかなた

 真冴の気が触れてしまわなかったのは、ほとんど奇蹟といってよい。誠一郎もいたって普通に見えた。傍から見れば、ふたりは普通の親として志保に接した。
 だが、ふたりは志保を本当に愛しはしなかった。ちょうど、田んぼの上をすべるアメンボをすくうことはするが、その下、泥の中にいるドジョウを捕まえることを嫌うのと同じだ。
 志保という存在の表面だけをかわいがり、その下にある深い宿命に触れるのを嫌がった。
 もちろん、誠一郎と真冴は生まれてすぐに志保を医者に診せた。しかし、どんな高名な医者にも、誰にも志保がどうしてこのような目をもって生まれてきたのかは知れなかった。
 真冴は、生まれて間もないころから志保の目に布を当てた。志保から、視界を奪ったのだ。そうしていれば志保は真冴にとって、実にかわいい娘であった。
 使用人たちの中には志保を恐れる者も少なからずいたが、主人夫婦が普通に接するのだからそれに倣うしかない。我慢できない者たちは、きつく口止めをされ家を出て行った。
 まぁ、人の口に戸を立てることはできない。志保の目のことはすぐに村人たちの知るとこになった。
 志保が生まれてから、誠一郎と真冴の仲はひどく不愉快なものになった。ふたりとも性格が性格だから、人前で仲の悪いところを見せるようなことはしなかったが、二人きりになったときの不仲は胸糞が悪い。
 誠一郎は、真冴がどこの馬の骨とも知れない男と密通して出来たのが志保だろうとなじる。真冴は真冴で、誠一郎の種が悪いから志保のような子が生まれるのだろうと罵る。
 毎夜、毎夜ささやくような声量で繰り広げられる両親のやりとりを、志保は夢うつつ、子守唄のようにして育った。
 それでも志保は病気ひとつせず、健やかに成長した。村人たちの中には志保の赤い瞳を恐れる者もいたが、六つの頃になると志保の愛らしさのほうが村人たちの話題にのぼることが多くなった。志保のことを一番嫌い、怖がっていたのは実の親である誠一郎と真冴だった。
 目に布を当てられ目の見えない志保は、真冴に手を引かれ庭を歩いた。時おりそこに誠一郎も加わり、志保を挟むようにして親子三人の散歩。そんな様は、仲の良い親子のようだった。

 志保六つ、ある日のことだった。
 その日、志保はいつものように目に布を当てられ、真冴に手を引かれ庭を歩いていた。当然、志保に外の様子がわかるはずがない。だのに突然、志保はこう真冴に言った。
「かあ様、気をつけてくださいまし。下に、とがった石ころがあるわ」
 ぎょっとして真冴が足もとを見る。するとその通り、割れた鉢植えの破片が地面から突き出していた。
「どうしてわかったんだい?」
なるたけ平静を装って真冴が聞くと、志保は白くて並びの良い歯を見せ笑う。
「なにとなく、感じたのでございます。かあ様、おけがはありませんか」
 志保はその頃から何故か、周りの様子が見える、いや分かるようになっていった。そして、両親はまたそれを、恐れた。誠一郎は志保に、その力のことは誰にも言うなときつく言った。
 一時、親戚連中から志保を尼寺にでも預けたらどうか、という話があった。志保の目はきっと尋常のものではない、ならば志保を俗世間に置いておくのはよくないのではないか、ということだ。
 しかし、親戚連中の腹の底には跡取りのいない誠一郎夫妻に自分の子を養子に出そうという下らない魂胆があったのは言うまでもない。そしてつまり、誠一郎と真冴の仲はこの時すでに子が望めぬほどに冷え切っていたということだ。
 だがこの話は志保自身が嫌がり、お流れとなった。
 その話が出たのが出てのは志保が七つの頃――志保の心眼ともいうべき力は顕在していた――だったが、それまで我がままひとつ言わなかった志保が涙を流して言うのだ。
『とお様とかあ様のそばを離れたくないです』 と。
 目に当てられた布を濡らしさめざめと泣く我が子を見ればやっぱり、誠一郎と真冴にも些少の親心というものが芽生えるらしい。ふたりは志保を手元に置き、育てることにした。
 しかし、もしかしたら。このとき志保を尼寺に預けていたら、志保の、いや全ての運命は変わっていたかもしれない。
 それとも、それでも。志保の赤い眼(まなこ)はどうしてもあの男をたぐり寄せてしまう力を持っていたのだろうか。
 後悔は後になって悔いるから後悔という。過ちという字と、過去のかという字は同じだ。どちらにせよ、もう。

 かなたへ消えた時間には触れることさえ、叶わない。



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