呼び続ける。



1*まなこと涙

父は、わた しのことを褒めてくれました。
母は、わたしのことを抱きしめてくれました。
みんな、わたしのことをかわいがってくれました。
だけれど、だけれど。
誰も、わたしのことを愛してはくれなかったのです……。

 話は数十年前にさかのぼる。正確な年数をはっきりと言えるものはもう、その村にはいない。
 娘は名を、志保と言った。
 志保は大変美しい容貌をしていた。白月の光に劣らぬ色の肌はきめ細かくなめらか。うすく桃に染まるくちびるはふっくらとし、甘い吐息を辺りにまく。心根も優しく従順で、利発であった。
 しかし志保の両親はこの、磨き上げられた珠のように瑕ひとつない娘のことを愛しはしなかった。
 志保が望まれぬ子であったわけではない。志保の家は村一番の分限者で金に困っていなかったし、志保の両親、誠一郎と真冴(まさえ)の仲もとても睦まじかった。
 実際、真冴が身ごもったことを知った誠一郎の喜びようといったら可笑しいくらいだった。生来口数の少ないこの男がこのときばかりは会う者、会う者に「私の子ができた」と笑顔で言いふらしたのだ。そんな誠一郎の姿は、見る者の微笑を誘った。
 志保は実に望まれ、愛されるべき子だった。いや、誠一郎も真冴も志保が生まれてくるまでは、名も決めていない己らの子を愛していたのだろう。志保が生まれてくるまでは、本当に。
 ふたりは、志保が生きることを望まなかった。
 もし今、誠一郎と真冴にそれは本当かと聞いてもふたりは決して肯かないだろう。このふたりは性根の底に『正しい人と見られること』と刻み込まれていて、我が子が生きるのを望まなかったなんて、認めるはずがない。
 でもそれは、本当のこと。志保は生きるのを、望まれなかった。
 何故か。
 磨き上げられた珠のように瑕ひとつない娘、志保はその身に数奇としか言いようのない、尋常ならざる性をもって生まれてきた。

 志保は赤い眼(まなこ)をもって生まれてきた。

 志保の目の赤は燃えるような煌々としたものでなくむしろ、曼珠沙華のような深い紅色だった。なぜ志保だけがこのような瞳をもって生まれたのかは、永遠にわからない。
 志保が生まれた日、志保を取り上げた産婆は悲鳴をあげた。産婆の声に驚き部屋の中に入ってきた誠一郎も「あっ」っと一声出したきり、声を失う。真冴は意味の付かない言葉を発し、涙を流していた。
 真冴の涙は志保のことを思ってではない。自分がかわいそうだから溢れた涙だ。こんな子供の母親になってしまった自分を、周りはどう見るだろう。こう思って泣いたに、違いない。
 何やら異様な雰囲気を訝しみ集まってきた使用人たちも、皆それぞれに驚きやら困惑やらで顔を歪めていた。
 そんな中でも志保は、力強く泣いていた。一所懸命に生きようとする命の元気な声が辺りに響けば響くほど、反対に、大人たちの心から色彩が抜け落ちていく。
 誠一郎と真冴は、己らの前に突如落された赤い影に怯えた。
 ある者は純粋に生まれた子の、行く末を憂いた。
 ある者は純粋に生まれた子の、悲愴なさだめを嘆いた。
 ある者は生まれたばかりの赤い目をした子に対する好奇を隠すのに必死になっていた。

 志保はただ、赤い瞳を涙で濡らし泣き続けた。



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