千。



千呪獄の月日向*3  ||センジュヒトヤ ノ ツキヒナタ

 香和童子は強かった。麗姿の童とは思えない、力強く荒々しい動き。
 香和が突き出した槍を、センはわずかに体をよじり避ける。刃が右の頬上をすべり、一瞬熱い。気にせず踏み込み、香和の肩口に刀を叩きこむ。香和の足の筋がぎゅっと縮み次には後ろに跳んでいた。五、六間(一間:約一八〇センチメートル)は飛んだだろうか。人とは思えない。
(香和は最初から人離れしていた)
 灼尊の皮を突き破って出てきたのだ。普通の人間であるはずがない。
(でも、クルイってわけでもない)
香和の黒目はらんらんと光っているし、そもそもクルイだからってあんな動きができるわけではない。
 クルイはただ狂うだけ。壊したい、以外の感情が抜けるだけの生き物。
(なんなんだ、こいつは)
センの方に戻ってくる香和から目をそらさず考える。荒い息と痛みが思考を邪魔する。
 ふらり、と香和童子が消えた。
(っ!)
どこだ、と思う前に、目の前。
「うっ」
香和童子が、センの腹を蹴り上げた。膝をつく。腹が熱い。痛いというより、熱い。こみ上げてきたものを吐きだすと、血だった。腹の傷を抑える手も、あふれた血でまた濡れた。ぬちゃりと手に触れるのはもしかして腹の中身だろうか。考えたくない。
 息が上手く出来ずむせるセンの顎を、香和はまた蹴り上げた。
「がっ、は」
目前ですら霞む。ぼんやり見える香和の白い顔を睨みつける。香和は意外なことを言う。
「千呪の子よ、少し語ろうか」
どこか面白そうな響きがあった。
(語る?)
何を考えているのかわからない。
「お前と、話すことなんか、ない」
 センが必死でしぼりだした言葉を無視して、香和は続ける。
「おんしは先に、我にこう嘯いたのう。『狂環師が俺に勝てると思っているのか』と……確かにそうかもしれぬ」
香和童子はあっさりとセンの考えを認めた。
「なにが、言いたい」
「すでにわかっていると思うが、我とてただの狂環師ではない。我は、『密の法』の中にいるのだ」
「ひそか、の法?」
聞いたことがない。
(それが香和童子の常人離れした動きの秘密なのか)
「おんしも『密の法』の中におるのだぞ、千呪の子」
 香和童子は言葉を残し、ふっと消える。刹那の消失後、また現れて香和は、センの頬を撫でた。膝をつくセンと立つ香和の身の丈がちょうど同じくらいだった。
「……どういうことだ」
センは思わず呟いた。香和が自分に触れているのに、動くよりも訳を知りたかった。
 眠たげな笑みを浮かべた香和の顔がセンに近づき、耳元で囁く。
「おんしが常人ぶっていられるのは千朱原の娘のおかげ、ということだ」
すっと体から熱が引く。勝手に体が動き、香和の体を刻もうとしていた。香和はそれをたやすく避ける。
「何ゆえ斯様に怒る? 恋しかろうとおもうて話してやったのに」
香和はにやにや笑う。センは痛みも忘れ立ち上がり、香和の眉間に刀を叩きつける。当たらない。
(くそっ)
あの人が脳裡によぎり、消えた。
「くそっ」
 香和童子を見失う。
「どこだっ」
「真後ろだ」
ひやり。首元に刃先を押しつけられる。肩を押し刺され、前によろける。体勢を立て直す間もなく香和の槍がセンのふくらはぎを貫いた。転んで、砂を噛んだ。この感じ、嫌いだ。
「ぐ、あ」
香和童子は槍を引き抜きまた消えた。センは起き上がろうと思ったが、体が思うように動かない。仕方ないので仰向けになり、香和の気配を探る。よくわからない。
「思っていた以上に弱いな、おんし」
 つまらなそうな声がした。つ、と眉間を指で押される。センの顔をのぞきこむ香和童子の顔は、声と同じくつまらなそう。
(いつの間に)
香和童子はセンの頭のすぐ上に、ちょこんと座っていた。まったく動きが見えない香和童子のことが、本当は怖かった。それでもセンはふてぶてしく笑って見せる。
「動きが、まるで、別人じゃない、か」
「なに、我の動きが変わったわけではない。おんしの心が乱れたのだ。言っただろう、おんしは弱い、心が」
香和童子の言葉は、センの心をわかりきったようだった。また怖い。ひや、とする。
「まあ、再三言っているように、我は普通の者ではないからな。少し出した本気がおんしには別人のように見えるかもしれんな」
 香和童子は槍を短く持ち、ゆっくりとセンの肩に刺していく。皮ふが裂け、血があふれ出す。温かい血が服に染みて染みきらない血が流れ出す。
「ぐっ、痛っ」
香和はやめない。さらに深く突き刺す。
「可哀想なぁ、千呪。強い生命力というのも考えものだ。一等最初、我が森で仕向けた猪で死ねていれば良かったのにの」
(こいつのせいか)
 センが森囲に留まる「そもそも」を作ったクルイだ。あの時抱いた違和感――あまりにもセンを殺そうとしているかのような動き。やはり、センだけを殺そうとしていた。
「弱い弱い弱い、あの娘を守るとほざいたのはどの口だえ? 本当におんしを殺せば箔がつくのか、甚だ疑問に思えてくる。 まあそろそろ殺してやろうか。肌寒くなってきたらからな、あの娘の皮を早く被りたいのだ」
奇麗な顔に下卑た笑みを浮かべる香和の奇麗な顔をぶん殴ってやりたいと思うが、生憎指先くらいしか動かない。
「お前は、ここに来た、時から、灼尊さんの皮をかぶっていたのか」
「いや、もっと前からだ。ハチロクの皮をかぶっていれば何かと便利かと思ったが、この木偶はどこまでも木偶だったな。今までで一番使えぬ皮だったわ」
 やれやれ、と香和はわざとらしくため息をついた。
「今まで?」
「ふふ、そうよ。我は他人の皮を被り傀儡とする。長くても人の寿命以上には生きられないし、大体の場合、我に入られた者は取り殺される。そうしたら次の傀儡へ……そうして我は今日まで生きてきた。我には、その力がある」
己の持つ常人離れした力が嬉しいのだろうか、愉快そうに喉を鳴らして香和童子は笑う。
 その様子を見て、自然と口が開いていた。香和童子が狂環師だから、聞いていた。
「狂環師は、人を苦しめるのが楽しいのか?」
そこが知りたかった。
 今までずっとわからなかった。狂環師だったからなのか。あの人だったからなのか。センだったからなのか。わからないまま、今になっていた。
 香和に問いながらも、心の中ではあの人のことを考えている――ねぇ、どうして。



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