千。



狂い烏の濡れ羽色*6  ||クルイガラス ノ ヌレバイロ

 森を歩いていると、前から佐七がどかどかと歩いてきた。普通の様子ではない。元々黒い肌色だが今はどす黒く、ぎゅっと口を結び、目はつり上がる。白目は血走っている。
「佐七さん、どうしたんです!?」
驚いて声をかけると、ぎろりとセンを睨んできた。睨んだのがセンだとわかると、はっと気まずそうな顔をしたが、また恐い顔に戻った。
「テメェ、ハチロクに行ってたのかっ」
怒鳴るように聞いてきた。うなずく。
「ハチロクの野郎どもはいたかっ! まさか寝てるわきゃア、ねぇだろうなァっ!」
「い、いや、いますよ、起きていました」
灼尊は知らないが。
「そうか、起きてんのかァ。当然か、まあいいぜ。儂が、あいつらのこと叩き切るのに昼も夜も、寝てるも起きてるも関係ないわいっ」
 唾をまき散らし、佐七が鎌を振り回す。
「ちょ、佐七さん! 危ないですよ」
とっさに佐七の手首を取り、鎌も取り上げる。
「離しやがれっ、邪魔すんならテメェも叩っ切るぜェっ」
「落ち着いてください、落ち着いてっ」
センから鎌を奪い返そうと、腕を掴んでくる佐七の力は凄まじい。
「昨日みたいなことがあって、落ち着けってかァ? ふざけんじゃねェっ。儂ァ知ってんだ。あいつからが神居の森の中に入ってきたから、神様がすっかりどっかへ行っちまったんだよっ」
「神、さま?」
なんの話だ。
「あぁ、そうだ! この先にある『白の地』には大昔、神様が住んでいたんじゃ。『白の地は赤く穢れ、神は姿を消す』と語りつがれておる。今起こっているのは昔と同じこと! 奴らがこの森でクルイを殺し、血を流したから神がいなくなったんじゃっ!」
 夕凪やきく婆からそんな話は聞いていない。佐七は思いっきりセンの手首に噛みついた。
「痛っ」
鎌を取り落とす。
「悪く思うな、儂ぁ奴らを殺してやるんだ! 返り討ちで殺されるなら本望じゃ」
佐七は老齢を疑わせる俊敏な動きで鎌に飛びつき、詰め所の方へ走り出す。
「そんなことしたら、夕凪が悲しみますからっ」
駆けていこうとする佐七を必死で掴む。佐七はぎろりとセンをにらんだ。その目の光は普通じゃない。怒りで我を忘れ、真っ黒く、光が無かった。
「クルイを殺さないハチロクなんかが死んでも、あの子は悲しみはしないぜェっ!」
「そういうことじゃ、」
「だってよォ、あの子の――――――――――」
「え」
佐七の言葉で、センの全てが止まった。
 体から力が抜け、佐七を離した。突っ立つセンの横を、佐七が駆けていった。
 しばらくし、村の男たちが来た。センに何かを聞きセンは何か答えたが、何と聞かれ何を答えたのかは覚えていない。男たちは佐七を追い、連れ戻してきたようだ。男たちに両脇を固められ、佐七は喚きながら村の方に連れて行かれた。
 その間ずっと同じ場所に立ちつくしているセンを変に思ったのか、村人の一人が声をかけてきた。そこでやっとセンは少し正気を取り戻す。
「あ、すみません、大丈夫です」
「そうかァ? ならいいんだけどよう、あんまりにも青っ白い顔してたもんだから」
「佐七さんの様子に、ちょっと驚いただけです」
そう言うと、男は仕方なさそうに鼻を掻いた。
「あん人はハチロクが村に入ることを最後までってか、今でも反対してるからぁ、納屋をクルイに壊されてちょっと心の“たが”が外れたんだろうよ」
「そうだったんですか」
 男と話している間も、頭の中には佐七が言った言葉が回っている。
「佐七さん、ハチロクが『白の地』を穢したから神が消えたって言ってました」
男は顔をしかめる。
「あれェ、そんなことまで話したのかい、佐七さんはぁ。あの人の家は代々村の語り部でね、他のより色んな昔話を知っているんだが、無暗に村外の人に話さねぇ決まりなのに」
ちょっと佐七さんを注意してくる、と言い残し男は駆けていった。きっとあまりセンと一緒にいたくなかったのだろう。
 一人になると佐七が最後に叫んだ言葉が全てを占める。夕凪の笑顔が頭をよぎり、くちびるの端を噛んだ。
(夕凪……)
――――だってよォ、あの子の家族はクルイに殺されたんだから。


 ふらふらと家に辿り着く。夕凪が笑顔で出迎えてくれた。
「おかえり、セン。迷ったりしなかった? 灼尊殿は?」
夕凪の笑顔が、今は心に突き刺さる。
「ただいま。うん、雪村さんも夕凪にお礼言っといてくれって。あと灼尊さんも大丈夫だって」
そういえば、灼尊の事を聞くのを忘れていた。
「そっか。ありがとね。今お茶淹れるから」
その笑顔が、耐えられない。
「あー、ごめん。俺ちょっと疲れたから、休むね」
「え、そう?」
不思議そうな顔の夕凪を残し、センは部屋へ戻った。
 後ろ手に襖を閉める。力が抜けその場に倒れ込んだ。
「く、っそう」
涙があふれてくる。
(俺は馬鹿だ、どうしようもない馬鹿だ)
自分の肩を抱き、肌に爪を立てる。
 こうなることは、わかっていたのに。居心地が良くてずるずるとここにいた。
(俺は人と関わっちゃいけなかったのに)
忘れかけていた。目を閉じ、体を丸める。このまま、このまま、眠ってしまって――。
(消えていたらいいのに)



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