暮れ間に沈む



まふるまの闇、さよなら。

まふるまの闇、おかえり。

  拝啓、あなた様

 淡い月の夜、私はある意味において再会を果たしたのです。
 どこからお話すべきか迷いましたが、あれやこれ書いたところで意味のないことに気づき、コトの起こりをさらりと書くことにいたします。しかしながら学の無い青二才でありますから、結果としてだらりと冗長、おやさっそく重複いたした。
 兎角あなた様へ。
 私は都会に出てきて数日の若造でした。都会は凄いところです。田舎では役場ぐらいでしか見られない高い建物がずらりと並び、そのどれもが役場よりもずっと高い。意匠もモダン、というのでしょうか。モダンなものなのです。
 再会は銭湯の帰り道。私はモダンな建物などに縁はありません。何もない三畳に間借りしています。そのようなわけで出会ったのは、銭湯の帰り道、明かりの消えた民家とビルヂングの間の暗闇。そこから現れたモノが何か、おわかりになりますか。
 ぎらりと光った双眸は赤。その色合いを見れば魔種であることはひと目でわかりました。
 魔種。闇に流れる思念に一滴の悪意が融け合わさった存在。
 都会の方は見たことがないかもしれませんが、山間の村から出て来た私には馴染み深い存在です。総じて都より鄙の方が闇は多くありますね。外灯なんて殆どないのですから、陽が落ちれば、それはもう古来よりの闇夜です。魔種は闇に巣食うのですから必然、田舎の方が魔種と遭遇する機会も多くなるわけです。
 都に出て来たばかりで知人も無かった私は、魔種を見たとき懐かしさに似た感情を抱いたことを覚えています。
 立ち止まって魔種を見ていると、少し近づいてきました。赤い瞳が爛ときらめいた気がしました。魔種の纏う闇は濃く、ぬめる血液のようです。
 ぞわり、ぞわり。
 粘性を持った闇を引きずり、魔種は淡い月夜のもとに。大きな黒猫の姿をしておりました。ぼろぼろの、死にかけでした。魔種は血肉の床を求めて生き物に憑き、喰い物にするのです。でも人が喰われることがないのはきっと、ご存知でしょう。
 猫は足を引きずりながら、もう一歩私に近づいてきました。
『にゃあ。』
体に似合わぬ子猫のような高く細い鳴き声。鳴いた途端、猫の歯がぽろりと落ちます。次いで血を吐きました。真っ黒な口の中から吐き出される血もまた黒。生臭い臭いが私の鼻に届きました。
 足を引きずり、引きずるそばから猫の体は崩れていきます。それでも足を引きずり、己で吐いた血だまりの中に身を置き、口を開き、血をしたたらせる魔種。
 血だまりの中で魔種は、人の言葉を発しました。
『さよ、なら、ヨ。』
 するり、と。猫の口から黒くて所々赤い――半端に熟した桑に色は似、大きさは握り拳ほどの塊が出てきました。塊はあっというまに大きくなり、私と並ぶほど背を伸ばしました。
 それはもう、私の知る魔種じゃなかったんです。
 ぎくっとして駆け出しました。これはえらいことになった。それでも、この時点でもまだ、私は楽観していましたよ。
 ねえ、あなた、人ってそういうものじゃありませんか。
 首を掴まれる感覚。魔種の指は異様に長くて、後ろから回った指は前でぴったりくっ付いて首輪をはめられたような気がしました。魔種の体は温かったです。油のようです。心地よく、どこか不快。私と魔種の境界がぼやけるような感覚。
 魔種にがっちりと掴まれた私は、後ろに引っ張られ、無様な呻きとともに倒れました。仰向けの私が見上げたのは夜空、いえ、夜の空ではありますが、夜空という響きは少し浪漫的過ぎる気がします。ぼやけてくすんだ夜に星はありません。
 私の顔を覗き込む顔。おそらく魔種なのでしょう。人に近しい姿ですが、明らかに人ではありません。顔とも体とも曖昧な形をしていました。大きさは違えども、幼い子供が作った泥人形と言った方がわかりやすいでしょうか。目であろう所に在る赤い玉。その下の窪みは口でしょう。ヒトガタは私を見下ろし、ふたたび口を開くのです。
『おか、えり、ヨ。』
 お帰りとは、どこへ。
 ぬるりと、魔種の指が体を這いました。触れられている部分は心地よく、離れたところは不快にぞわぞわするのです。
 覚えていないけれど、私は何か叫んだかもしれない。呻いただけかもしれない。
 私には一瞬、魔種が女の姿に見えました。美しい、女に見えました。
 見直す暇もなく“私”の意識は黒く塗り潰されるのです。瞬く間もなく、くろい、黒い、黒く。



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