四秘籠―ヨツヒコ―



四秘籠の壱*平吉

囲め 囲め
籠の中の秘枢(ひすう)が
抜け出す前に

囲め 囲め
籠の中の秘枢が
誰かの心に届かぬように

囲め 囲め
籠の中の秘枢が
光に当たって朽ち果てる前に

囲め 囲め
籠の中の秘枢を
永遠の暗闇の中に

***


 誰にも言わないでくださいね。それだけを最初に約束してくださいよ。
 ……私の名前ですかい。平吉と言います、はい。長い間、誠一郎さまのお屋敷につかえていたもので、言葉遣いだけはそれなりですが、なに、生まれも育ちも鄙ですよ。
 志保お嬢さまのことは、なんと言っていいのか。思い出すたび涙が出てきますよ。あれほど美しくて優しいお人を私は他に知りませんね。そして、可哀想な人もねぇ。
 うん、そうですね。聞きたいのは志保お嬢さまのことではなかったですね。林蔵さんのことか。はっきり言って私だってあの人の特別なことを知っているわけではないのですよ。生まれはここよりも寒さの厳しい北国だとか、姉さんがひとりいただとか、そんなことぐらいしか知らないや。林蔵さんも私もお屋敷に住み込みで働いていたからね、眠る前のちょっとの間、たまに話すくらいだったから。どうして目の見えない林蔵さんが放浪しているのかとか、志保お嬢さまの話し相手をしていて間違った気は起きなかったのかとかは知らないんです。まあ今になって考えるからそんな疑問が浮かんでくるのであって、生前の林蔵さんは志保お嬢さまを想っている様子なんてこれっぽっちも表に出していませんでした。そんな林蔵さんが志保お嬢さまを孕ませるなんてね。
 ああ、すみません、すみません。下世話なことばかりに口がするする回って、困ってしまいます。
 林蔵さんの死について聞きたいと。死についてだけ……はあ、そうですか。ええ、確かに死体を一番最初に見つけたのはわたしにございます。自慢じゃありませんが、わたしは屋敷の中で一番最初に起き出して、ほうきを片手に散歩がてら、庭を見て回るのを日課としていました。林蔵さんが働くようになってからは、林蔵さんも一緒に朝、軽く庭の手入れをすることもありましたよ。林蔵さんは本当にすごい。本当は目が見えているんじゃないかと思うことがよくあったんです。それくらいきれいに滑らかに動きなさる。
 その日も、私は朝が明けるか明けないかのうちに起き出して庭を歩いておりました。季節は紫陽花が咲いている頃でしたから……日中にもなると蒸し暑い日も多かったのですが、朝の空気はひんやりとしていて心地ようございました。こまごまと雑草やら枝やらを拾っているうちに夜明けの光が差し込んできて、朝靄の中、わたしの目に留まるものがあったのです。
 いえ、すぐに林蔵さんの死体を見つけたわけじゃありません。あい、すみません。端折ってしまえば林蔵さんの死体を見つけたのですがね、私が気を取られたのは違うものなんです。
 紫陽花です。
 誰の嗜好だか存じませんがお屋敷には塀をぐるり一周囲むように、紫陽花が植えられておりました。前の日まで桃色に近い薄い赤だった紫陽花の色がなんと、闇に紛れてしまいそうなほど濃い真青になっていたのです。私はその不可思議に目を奪われたのです。驚いて紫陽花を詳らかに調べていると不意にひやっと背中に悪寒が駆けて、後ろに誰かが立っている気がするのです。私は振り返りました。そこでぷらぷら揺れていたのが林蔵さんでした。
 恐ろしいや驚いたと言うよりも、頭の中身が全部どこかへ吹っ飛んでしまったようで、真っ白でした。どくんどくんどくん、と心臓が三回くらい鳴って初めてはっとして、私は思わず「わぁ」と叫びました。人の死んだのを見たのはあれが初めてではないのですが、若人でしかも首をつっていたので気が動転したのでしょう。
 しかし、聞く話によれば林蔵さんの死体は目が縫い閉じられていたとか。恐ろしい話ですね。
 紫陽花の花色が一夜にして変わってしまったことに気づいていたのはどうやら、私だけのようでした。私は毎日毎日、丹精込めて世話をしていたのに誰も気づいてくれなかった……いえ、恨んでいるわけではないのです。まさか、そんな。人の死という大きなことの前には、たかが紫陽花の色が変わったという些細な出来事など消えてしまうのでしょう。いいのですよ、私だけでも紫陽花たちの変化を気付いてやれたのですから。
 さて、あと私がお話しできるようなことは……林蔵さんの葬儀のとき志保お嬢さまが倒れたことぐらいでしょうか。生憎というか幸いというか、私は林蔵さんの死体を下ろすのを手伝っていないので。
 ……はあ、もうそれ以後のことは良いのですか。わかりました。ではこの辺にしておきましょう。ではね、そろそろお暇いたしましょう。
 耄碌者(もうろくもの)の話を最後まで聞いてくださりありがとうございました。
 ええ、もう貴方様とお会いすることもありませんでしょう。見知らずの貴方だから、お話したのです。人の死をぺらぺらと軽々しく話すというのは決してよろしい行いではない。でも話したいと思う心があるのもまた事実。話した人に会うたび、私はちくちくと罪の意識に悩まされるでしょう。でもその点、貴方様とは二度とお会いしないだろうから私のこの罪を平気で押し付けることができます。

 ――――ああ、それでも、それでも。誰にも言わないでくださいね。



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