2話 番外編



ハチロク鰻と料理人

・きっと誰も伏線だと思っていなかった部分を膨らませた話。
・それなりにシリアスつか真面目な話をしております。


 面倒なものを見た。
 三枝は舌打ちする。他に誰もいない詰め所でしたそれは、少し滑稽に思えた。
 壁に背を預け、息をつく。汗で着物が肌に引っ付いてくる。不快だ。鼻先を血のにおいがかすめた。水を被り着替えもしたのに、まだ落ちないのか。または幻か。
 夜が明けた和泉宿の中は少しずつ動き始めている。まだ人々が表に出る時刻ではないが、ざわめきのようなものを感じる。これがもう少しすれば活気に変わって、宿場は本格的に動き始めるのだろう。
 ほんの一時(いっとき)ほど前の藤下泉と今いる和泉宿、どちらも三枝にとっては実際なのだが、現実味が乏しい気がする。どちらかがではなく、どちらも。
 藤下泉には、血のにおいが溢れていた。狂環師の詠花に情夫(いろ)の利彦、水色屋の奉公人の兄妹、それにセンという男。みな、血まみれだった。
 それを見たとき三枝は後悔した。わざわざ騒ぎの渦中に飛び込んでしまうなんて、まったく普段の三枝らしくなかった。そうしてしまった理由はいくつかある。平太という男が水色屋の主・源衛の元へやってきたとき、三枝もたまたま近くにいたから。弥久が藤下泉に妹を探しに行き、センもそれを追ったと聞いたから。厭な予感がしたから。でも結局、センのことが気になったというのが本当かもしれない。
 そのセンは、何より面倒だった。三枝と源衛が藤下泉に着いたとき、センは楽しそうに獣を殺していた。奴の片目から黒が抜け、その様子から答えはひとつしかなかった。
 あの男はクルイだ。


「面倒くせぇなぁ」
 呟いたところで、詰所の前に誰かが立ち止まった。
「誰だ」
ある男を思い浮かべながら声をかけた。
「水色屋源衛にございます」
「開いているから、勝手に入ってくれ」
 戸を開けた源衛の恰好はこざっぱりしている。藤下泉を出たままの姿では出歩けるわけもないから当然ではある。手には風呂敷包みを持っていた。
「三枝さま、先程はどうもありがとうございました」
 源衛は丁寧に頭を下げた。その様はいかにも商売人だった。
「いや、俺はたいしたことはしていない。さっきも言ったが始末は宿場役所の方でつけてくれ」
「はい、後ほど宿場役人一同で話をする手筈になっております」
「そうか。それなら、何用だ」
 源衛は口元だけ笑ませる。目が笑っていないのは明白で、三枝を騙すつもりもないのだろう。
「三枝さまにお願いがございます」
それとも侮っているのか。どちらにしても、
「断る。面倒なことは他の者が帰ってからにしてくれ」
 源衛の笑みが濃くなる。嫌いな笑い方だ。媚びる笑み。生家や央都のハチロク本部にいる時、腐るほど見てきた笑みを、源衛が浮かべている。
「いいえ、貴方様でなくては。三枝家のお力をお貸しください」
へこりと、源衛は小僧のように頭を下げた。
 そんな源衛の脳天を三枝は冷笑をもって見つめた。
「……さすが宿場役ともなれば、無駄なことまで知っているようだな」
 たしかに三枝の名はハチロクの中では幅を利かせている。三枝はその家名を使って部下に面倒事を押し付けまくっているが、人からその名の重さを出されると何故か気分が悪い。
「もちろん、ただでとは申しません」
 源衛は袂からすっと布に包まれた何か――十中八九、金を取り出した。結構な額だろう。藤下泉での様子からは、源衛がこんなことをする男には思えなかったから勝手に失望した。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ。金なんか積まれなくとも上に報告するつもりはない。死んだ狂環師の女と男のことも、和泉宿も水色屋のことも。これで良いだろう、さっさと帰れ」
 報告しない方が違反なのだから「馬鹿にするな」と言うのも変な話だが、頭に血が上っていて咄嗟に出た言葉だから仕方がない。三枝の言葉を受けた源衛は、笑みを張り付けたまま動かない。三枝は立ち上がり、奥の部屋へ引っ込もうと背を向けた。
 元から今回のことを上に報告するつもりは無かった。面倒だから全部もみ消してやろうと思っていたのだ。
 朝暮廷の勅使の護衛だとかで他の奴らがいない中、狂環師の取り調べから裏付け、その報告を書くのもすべて三枝の仕事となる。苦労して調書を作ったところで、央都に提出したそれはこの先、まず手に取られることなく埃をかぶるのだ。やっていられるか。
 部下たちが戻ってきたら間違いなくわかってしまうが、苦笑いして終わりだろう。たまたまなのか三枝に毒されてしまったのか、和泉宿に詰めているハチロクは適当な者が多い。もしとやかく言う奴がいたら、そいつに全て押し付ければいい。
 背後の気配が不意に大きくなり、思わず振り返る。源衛は同じ場所に立っている。しかし浮かべる笑みの質がまったく変わっていた。
「やはり思った通りのお方で安心しました」
どっしり構えた笑みで言われた途端、気付いた。
「てめぇ、試しやがったな」
小恥ずかしくて頭を掻いた。源衛は「いえいえ、そんな」とほざき、笑っている。
「しょうがねぇな。あんたも座ってくれ」
 こうなったら話を聞かないわけにはいかない。三枝はふたたび座った。
「それで話っていうのは何だ」
さっき三枝が言った、宿場や水色屋に不利になることを報告するなということではあるまい。それならもう用は済んだはずだし、それだけのために三枝を試すような真似をするとは思えない。やりすぎだ。わざわざ素を出して警戒心を持たせる必要もないだろう。
 源衛は三枝の前に正座するといきなり切り出した。まどろっこしい言い方はしない。
「センさんのことです」
見当通りの名だ。詠花でも利彦でも水色屋でもなければ、残るのはそれしかない。
「教えてくださいませんか。センさんは何者なんですか」
「なぜ俺に聞くんだ」
 問い返した三枝の顔を見て源衛は怪訝な表情を浮かべる。それで思い出した。
「ああ、そうだったな」
そうだった。水色屋の前で十家の名を出してセンに面倒を押し付けた、つもりだったのだ。
「悪いが俺は知らないんだ。あの手紙はある方から頼まれて奴に渡しただけだ。それ以上詳しくは聞いていない」
「そうですか」
源衛はまっすぐ三枝を見つめていたが、すぐに視線をはずした。三枝が嘘を言っていないと判断したのだろう。完全に下に見られているとしか思えないが、実際そうなのだから不機嫌にもなれない。
 あの手紙は、もっと正確に言うなら差出人と三枝に渡した人間は別である。おそらく渡した人物が勝手に差出人――不破関(ふわぜき)の名前を使ったのではないかと思っている。不破関はその人の主人の名だ。きっとセンの何かが気になって主家の名を使って三枝を動かしたのだ。そう、三枝はまるきり踊らされている。
 なにが気になったのか。
 センがクルイであることを知っていたのか。知った上で、狩れではなく従えと命じたのならばやはり、センとは何者なのか。
「三枝さま」
 源衛が頭を下げる。
「センさんを見逃していただけないでしょうか」
「そうは、言ってもなあ」
面倒なことは嫌いだが、三枝だって一応はハチロクだ。それがクルイ、しかも人のクルイを見逃して良いはずがない。藤下泉で暴れるセンを見た。ひと目で敵わないことがわかった。情けない話だが動けなかった。それほどセンという男は、強い。
 そんな男を見逃す?
 この先、幾人も殺すかもしれない化け物を?
 クルイは化け物だ。殺さないと、いけない――――本当に、そうか?
「あぁ、面倒くせぇ」
 呟いて頭をがりがりと掻いた。
「私はクルイを見逃せと言っているのではありません。センさんを、見逃してください。お願いします」
「うるせぇな」
「三枝さま、どうか……っ」
なお言い募り、源衛は額を床につけた。
「源衛さん、やめてくれ」
源衛にはきっと何の思惑もない。ただセンを助けたいと思っているだけだ。この男にここまでさせるセンとは、センの持つものとは何なのだろう。今さら、もう少し真面目にセンと向き合ってみれば良かったと思った。
 源衛は顔を上げない。
「あんたがそんなことすることは無いよ。もう帰ってくれ」
顔を上げた源衛が口を開く前に、
「俺は今から寝るから、もう帰ってくれ」
にやりと笑ってやった。一瞬、間を置いてから源衛も同じような笑みを返してきた。
「ありがとうございます。そうだ、これなら受け取ってくださるでしょう」
「なんだ?」
源衛が差し出したのは持ってきた風呂敷包みだった。
「弁当です、と言ってもむすびと漬物だけの簡単なもんですが」
「お、そいつはありがたいな。いただくぜ」
ひとりは気楽だが、面倒なことも多い。飯の支度などその最たるものだ。埃やごみは放っておいてもいいが、己の腹ではそうもいかない。
 源衛は立ち上がり、もう一度頭をさげた。ふと聞いてみた。
「俺が真面目に奴のことは見逃せねぇって言っていたらどうするつもりだったんだ」
源衛は笑みを浮かべたが、放つ気は刃を思わせた。
「まだ若造には負けないかな、なんて……冗談ですよ」
三枝も笑い返したがったが出来なかった。ぞくり、と背中を寒気が抜けた。
 この男、一介の宿屋の主人などではないらしい。
「今はまっとうに商売させてもらっていますから。昔取った何やら、ですよ」
まるきり内心を読まれ、舌打ちした。
「もう帰ってくれ。俺ぁ寝るんだ。いつまでもあんたと話していたら寒くなって風邪でも引いちまう」
 言うだけ言って背を向けた。うしろで笑う気配がした。今ならはっきりわかる。源衛はハチロクだろうが三枝家だろうが歯牙にもかけない男だ。
「では失礼します。三枝さま、本当にありがとうございました」
 源衛が出ていく。その足音を耳が探っていた。道に出、遠ざかっていく。動き始めた宿場の人々の喧騒にまじり、遠くなっていく。聞こえなくなる。本当に立ち去ったのかと疑ったが、そこまでして三枝の元にいる理由はもう無いだろうと思い直した。
 腹の奥から息を吐いた。「ああ」、「うう」などと意味のないため息をつきながら、横になる。わずかな間にやけに疲れた。
 センを見逃してしまって良いのか。見逃すにしても自分の目で見極めた方が良いのではないか。頭の中で問いが回っている。回っているばかりで、答えを導こうとは思えない。空回りだ。
「ったく、めんどくせぇ」
 寝返りを打つと源衛がくれた弁当が目に入った。起き上がって包みを開くと握り飯がみっつと漬物が入っていた。漬物を口に入れた。
「うまいな」
思わず声が出た。ぱりっとした歯ごたえに程よい塩味が飯を欲しくさせる。すぐに握り飯にかぶりついた。こちらも塩加減が良い。塩の味と飯の甘さが口の中で混ざり合う。世辞抜きにこんな美味い握り飯と漬物を食べたのは初めてだ。あっという間に平らげ、ひと息つくと思いの外心が軽くなっているのを感じた。
 ふたたび横になる。満腹の腹をさする。聞こえてくる宿場のざわめきが心地よく、遠くなっていく。
「まいったな、こりゃ」
 金なんかより、よほど"まずいもの"をもらってしまったようだ。
 まどろんでいたのはわずかで、すぐに眠りに落ちた。目が覚める頃にはきっと、センは宿場を発っているだろう。
 まあ、良いだろう。面倒なことが嫌いで適当な自分らしい。

おわり

本編にちょこっと出てきた三枝さんがメインのお話。これが本編の「今なら、うなぎ殿はいないですよ」みたいな部分に繋がるわけです、はい。
当初の予定では最後の方でもセンさんに絡んでくる予定だったんですが、色々あってああなってこうなりました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!





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