さみしい心のすき間に、ぽつぽつ落ちる雨
それでも 涙を隠してくれるから
雨は やさしい……。
ぼくは今、ひとりで留守番をしている。ぼくが待っているのは姉、唯一の家族だ。どういう理由か知らないが、物心ついた頃からぼくの家族は姉だけだった。
姉は今、アルバイトに行っている。もう七時半だからあと三〇分くらいで帰ってくると思う。
カチカチ、カチカチ……カチカチ……
ひとりの部屋に秒針の音がやけに響く。ふう。ため息をついた。ごろんと仰向けになると薄黄ばんだ天井が目に入った。
小学校に入学したての頃は、姉を待つこの時間をいつも泣いて過ごしていたような気がする。姉が帰ってくるとすぐに抱きついた。姉は笑って、抱きしめてくれた。
もうぼくは小学三年生だから、そんなこと今はしないけど。
ふと気づくと、時計の針は七時五〇分を示していた。うとうとしてしまったらしい。いけない、姉が帰ってくるまでにお風呂に入っておかないと怒られる。ぼくは急いで狭い浴室に向かった。
ポチャン。
浴室の天井からたれたしずくが湯船に落ち、とてもきれいな音がした。でも耳を澄ますと違う音が聞こえてくる。何の音だろうとしばらく考えると、それが雨の音だと思い当たった。
パチャパチャ
ボジョボジョ
トトトトト……
雨の音と言えば、ザアザア、だと思っていたが、そんなことはないみたいだ。たくさんの雨音が聞こえる。
パチャパチャ
ボジョボジョ
トトトトト……
ポチャン
雨音と落ちる水滴の音が混じって、とても愉快な音楽に聞こえた。
つい楽しくて、長湯をしてしまった。お風呂を出て時計を見ると八時を十分も過ぎている。
「お姉ちゃん、どうしたんだろう」
呟いてみるが、もちろん誰も答えてくれない。
時計が掛けてある正面の壁に寄りかかり、姉の帰りを待つ。
カッカ、コッコ……カッカ、コッコ……
秒針は早いくらいのスピードで進んでいく。姉は帰ってこない。
壁に寄り掛かっているからか、雨の音がよく聞こえる。
ザザァザザァ
ボジョボジョ、ボジョジョ
トットト、トトト……
テンテン、テンテン
さっきよりも雨が強くなったみたいだ。屋根に落ちたり樋を流れたりする雨の音が、なんだか怖い。
八時二十五分、雨はまだ止まない。姉はまだ帰ってこない。どうしたんだろう、いつもならとっくに帰ってきてご飯の支度をしてくれるのに。そう思ったとたん、グウとお腹が鳴った。ちょっと笑ってしまう。
でもすぐに不安で、胸のあたりがずん、と重くなる。姉に何かあったのかな。姉は携帯電話を持っていないから、連絡の取りようがない。アルバイト先の電話番号なら分かるけど、もしそれで、姉がとっくに帰っていると言われたら、ぼくは、どうしよう。
雨の音に混じって、ピィーピィーと泣くようなサイレンの音がした。救急車だ。その音を聞いた瞬間、自分でもおかしいと思うけど、鼻の付け根がつんと熱くなって、目じりに涙があふれた。
ドクンドクンと心臓の音が大きくなって、体中に響きまわる。からだ全部が熱くなって、落ち着こうと深呼吸するけど、うまくいかない。つつい、と涙が頬を伝った。
ひぐっ、ひぐっとのどが変な音で鳴る。また涙があふれる。鼻水も出てきた。涙で滲む目で時計を見ると、八時三〇分だった。
「お姉ちゃん」
姉を呼んだ。
ガチャヂャ
そのとき、部屋のドアが開いた。ばっと入口を見ると、ずぶずぶに濡れた姉がえへへと困ったように笑っていた。
「雨降ってきちゃったから、雨宿りしようと思ってしばらくスーパーにいたんだけどさ、止まないから走ってきたの。もう、ずぶ濡れ……」
「お姉ちゃん、お帰りなさい」
泣いているとばれるのが恥ずかしくて、いつも通りの言葉を言った。
「ただいま」
ふっと表情を緩め笑う姉の顔を見た瞬間、心の中のもやもやが一気に消えて、ふんわりと温かいものを感じた。
ぼくは気づくと駆けだして、姉に抱きついていた。
「お、どうしたの。パジャマ濡れちゃうよ」
姉はそう言ったけど、ぼくを抱きとめてくれた。
お姉ちゃん子だと笑われてもいい、少し姉の帰りが遅いだけで泣いてしまうのは自分でも情けないと思う、けれど。けれど何と言われようと、何が何であろうと姉はぼくの唯一の家族だから。
大切に思って何が悪いの?
大好きで何が悪いの?
ぼくは腕に少し力を込めた。姉はぼくの頭をもしゃっと撫でる。ぼくは顔を上げ姉を見る。姉がぼくの目じりに残る涙をぬぐってくれた。
「雨漏りしてたのかなぁ、目のとこに雨がついてたよ」
姉はこう言って太陽のように笑う。ぼくもつられて笑う。ふたりで、笑い合った。
ポツポツ、ポポポ……
雨はだいぶ小止みになったみたいだ。
ポッポ、ポポポ……
さっきまで愉快だったり怖かったりした雨の音が、今は、とても優しくぼくらを包んでくれている気がした。
雨音…おわり