1話 小話



好物を食べる順序について

 ことこと、ぐつぐつ。
 鍋の中で具材がうまそうに煮えている。辺りに立ち込める、いい匂い。その匂いに吸い寄せられるように、詰所の煮炊き場にひとつ、人影が現れた。
 雪村だ。雪村はそろりと忍び足で煮炊き場に入ると鍋の蓋を開けた。途端に白い湯気がぶわっと出る。鍋の中では里芋が茶色く煮えている。
「……うまそうだな」
ぽつりとこぼすと雪村は鍋に手を伸ばした。
「雪村さん?」
 怪訝そうな声に誰何(すいか)され、雪村の動きはぴたりと止まる。
「小平次か」
振り向くと、苦笑を浮かべた小平次がいた。
「まったく、どこの悪餓鬼がつまみ食いをしているのかと思ったら、雪村さんでしたか」
 雪村は照れと気まずいのが混じった笑顔を浮かべた。
「悪いな、ついうまそうだったから」
小平次は笑う。
「里芋が好きなんですか」
「あぁ」
 雪村が頬を掻きながら言うと、小平次は頷いた。
「じゃあ夕飯の時、雪村さんの方に灼尊さんより多めによそっておきましょう」
「おお、そうか。ありがとう」
雪村の瞳がきらりと光った。
 それから夕飯までの一刻あまり、雪村の機嫌は非常によかったという。



 夕飯時。今日の献立は菜っ葉のお浸し、里芋の煮物、きのこの汁、それと白いご飯だ。もちろん、里芋の煮物に関しては雪村の方がやや大盛りである。
「うおぉ〜、うまそうだ。頂くぞ、小平次」
灼尊は言うより早く、ばくばくと胃の中におさめていく。雪村も両手を合わせると、静かに食べ始めた。
 少ししてから。雪村は食事の大体を食べ終え、残すは好物の里芋のみ。一方、灼尊の方はとっくに飯をたいらげちょっと物足りなそうにしている。
 雪村がお茶をひと口すすり、いざ里芋に手を伸ばそうとしたときだ。
「雪村さん、食べないのならもらいますよ」
灼尊の太い腕が里芋の皿に伸び、あっという間もなく里芋は灼尊の口の中、胃の中へ。
「あ、」
と言ったのは雪村と小平次、どちらだろうか。たぶん、どちらもだ。
「…………おい、灼尊」
 低く、凄みのある声で雪村は言った。
「な、なんです? 雪村さん」
雪村のただならぬ様子にぎょっと目を張り、灼尊がおどおど返事した。
 空になった里芋の皿を見ながら、雪村は変わらなぬ声と口調で言った。
「なんで私の里芋を食った?」
「え、だって……」
「だって?」
「最後まで残っていたから雪村さん、里芋が嫌いなのだと思いましてぇ、はい」
「なに?」
雪村はぎろりと灼尊に流し目をくれる。状況が状況でなかったら、男でもぞっとするほどの表情だ。
 冷や汗をだらだら流しながら、灼尊がぼそりと言う。
「好きなものから食べるでしょう、普通。ですから、里芋が嫌いならこの灼尊めが、ばくりと……すみません!」
灼尊は雪村に向き直り、手をついて謝った。あまりの大音声に詰所の隅の小物が鳴った。
「もう、いい。里芋の一口や二口にどうのこうの言うほど私は稚拙ではない」
 冷やかな顔で言い、雪村は立ち上がる。灼尊があからさまにほっとした。部屋の隅に控えている小平次も安堵したようだ。
「だが灼尊、覚えておけ」
訪れた安寧を雪村の声が再び緊迫させる。灼尊が居住まいを正し、かっちりと固まった。
「なんですか、雪村さん」
一拍の静寂。灼尊か小平次、どちらかが息をのんだ。 
 無表情に、無感情に、氷刃のように鋭い視線で一言、雪村は言った。
「私は、好きなものは最後に食べる派だ……」
そのままその場を離れる雪村を、なかば呆然と見送る灼尊と小平次であった。

 夕飯から寝るまでの数刻、雪村の機嫌は超絶に悪かったという。

おわり

雪村さんは好物を後に食べる派なんですね。
ふざけ過ぎました。反省。
一応の主人公(セン)を差し置いて、おまけ短編の主役になるなんて流石雪村さん。
管理人の好み全開です。
小平次さんも好きです♪





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