愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



優しいつぼみ*3  ||―ヤサシイ ツボミ―

「センさん、こんなところにいたんですか」
 弥久と入れ替わるように、じめじめとした小屋裏に現れたのは源衛だった。ちょっと抱えるほどの風呂敷包みを持っている。
「弥久と喧嘩でもしましたか」
どきりとすると、源衛はふふと笑った。
「弥久もあなたもわかりやすい。まあ、とりあえずセンさん、そんな湿った物陰にいないで、出てきませんか」
「あ、はい」
 慌てて小屋の陰から出ると、明るさに一瞬くらんだ。
「今日も暑いが、ほら、空は綺麗だ」
源衛の言葉につられ、空を見上げた。うすあおの空にもくもくとした雲。太陽がとてもまぶしい。ふっと吹いた風が、センの中にある絡まった想いを少しだけ、吹き飛ばしてくれた気がした。
「弥久はセンさんに出会えてよかった」
 うれしそうに源衛が言う。
「たぶん、よくなかったですよ」
そう言っても源衛は愉快そうに喉の奥で笑った。
「わかり合うためにぶつかり合うのは悪いことじゃない」
 軽く言うが、センはクルイなのだ。源衛はそれを知らない。
「センさん。あなたは、あなただ」
思わず、源衛を睨んでいた。弥久向けたものより強いかもしれない。うんざりだ。
 睨まれても源衛は笑みを浮かべている。優しげな笑みに何故か、ぎくりとした。一歩引く。
「逃げられないなら、向き合いなさい。認めたくない部分も含めて、センさんなのだから」
 源衛の声は不思議だった。大声ではないのに蝉の声などものともせず頭の中に直に届く。
「源衛さん、もしかして」
知っていてもおかしくない。センはハチロクである三枝のことばかり気にしていたが、源衛だって知ることができる状況にいたのだと、今さら気づいた。
「さあ、なんのことでしょう」
わかりやすくとぼけられた。
「あ、そうだ。センさん、これを」
 空気を一転させ、源衛が持っている包みを差し出す。
「え。と、もしかして」
「少しですが、支度を。手伝わせてください」
源衛は微笑み、センに押し付けるように包みを渡した。
「黙って出ていこうとしなくてもいいじゃないですか」
(なんで知ってるんだ)
 源衛を見つめたのと思い至ったの、それと源衛が答えたのはほとんど同時だった。
「手紙を見ました」
そうだ、詠花が狂環師としてハチロクに捕えられた日、センは和泉宿を出ていくつもりだったのだ。それで、手紙を置いてきた。すっかり忘れていた。
「でも、こんな良くしてもらうわけには」
そもそもセンは、源衛たちに嘘をついて水色屋に留まっていたのだ。
「いいから。前に言ったでしょう、私たちは一緒に働く者たちを家族だと思っているんです。センさんはうちで立派に働いてくれた。家族だ。私らからの親心だと思って」
 きっと間抜けな顔をしたと思う。
(かぞく)
間抜けな面をしたセンを見、源衛は少し笑った。
「さ、行きましょう。見送りますから」
「あの、ありがとうございます」
歩き始めた源衛の背に礼を言った。
 前を向いたまま、源衛が言う。
「センさん、私が言っても無駄だとは思うが、利彦たちのことは、あなたが気に病むことではないんですよ。浅はかだが、あの子らが決めた道だ」
平坦な声。
「沙智は逃げ続けたんでしょう。でも責められることじゃない。最初に逃げ場の無いところに追い詰めたのは、身勝手な者達なのだから」
源衛は顔を見せたくないのかもしれない。声が震えていた。
「利彦は向き合おうとしていたのかもしれないけれど、やっぱり、上手くいかないものだ……っ」
上手くいかないと言ったのは、自分に対してなのだろうか。はっきりと、源衛は泣いた。馬鹿野郎、しぼりだされた小さな声。
 センも泣きたくなった。自分がもっと上手くやれていれば、と。
「ありがとう、センさん」
涙まじりに源衛は言った。
「え?」
「大切な人が死んで、後悔しない人はいない。センさんはあの子らのことで悔いてくれている。少しの間だけの付き合いなのに」
ひとつ息を吐き、
「利彦たちを大切に思ってくれて、ありがとう」
振り向いた源衛は頭を下げた。その動きが素早かったので、やはり顔を見ることはなかった。見ない方が良いと思い、少し顔を逸らした。
 源衛はすぐに踵を返し、再び歩き始めた。店の中を通らずに表に出られる木戸を開け、外に出る。
 水色屋の面する通りはいつもより閑散としている。歩いているのは旅姿の者が多く、店も開いてはいるが人に元気がない。
 水色屋に向かって頭を下げる。頭を上げ、ここまでで、と言おうとしたときには源衛はもう歩き出していた。センが追いつくなり、話しはじめる。
「世の中ってのには、自分と他人がいるんですが、人ってのは、どうしても他人とのかかわりを大切にする」
前を向いたまま続ける。
「大切なことじゃないですか」
宿屋の主人である源衛がこんなことを言うとは思っていなかった。
「ないがしろにしろっていうんじゃ、ないですよ。ただ、自分も忘れてはいけない。人が向き合うべきは、他人だけではないんです」
「他人だけではない」
自分と向き合う。
「まあ、それがいちばん難しいんですがね。私だって、未だに出来やしない」
 急に軽い調子になり、源衛は立ち止まる。水色屋の通りから大通りに出るところだ。
「源衛さんでも難しいんですか」
「ええ。どんなに歳とっていたって頭よくたって、出来ねぇもんです。きっとセンさんが思い浮かべる、どんな人たちも全部わかりきってるなんてことないと思いますよ」
 ふいに夕凪を思い出した。その後に雪村。あんなに冷静で強い雪村もそうなのだろうか。
(千花もなんだろうか)
 心の中で呟くと、少しだけ暑さが遠のいた、気がした。思い出すというより、心の中にあり続けている人。センの中では完成していると思える人たちも、センのように悩むのだろうか。そういう意味ではみんな同じなのだろうか。
「そうだ、荷の中に握り飯があるんで。あと今なら詰め所に鰻殿はいないようですよ」
「うなぎどの?」
源衛はわざとらしいくらい、にっこり笑った。
「ほら、ハチロクの」
三枝のことだ。
「掴み所がないでしょう」
センは思わず噴き出した。源衛がそんなところまで考えていてくれていると知って、心が温かくなる。さっきまでの捻くれた思いは、どこからきてどこへ消えたのだろうか。
「はい、ありがとうございます」
 センはまだ、弥久に面と向かって言える言葉を持っていない。センがセンに追いついていない。
(ああ、そうか)
弥久と源衛が言っていることはたぶん同じだ。
「じゃあ俺、行きます。本当にありがとうございました」
「いってらっしゃい。こちらこそありがとう」
 和泉宿では、誰も救えなかった。たくさん傷つけた、他人も自分も。
「弥久さんに、『源衛さんに負けないくらい腕磨いとけ』って言っておいてください」
ふざけた調子で言ってみれば、源衛は口を開けて笑ってくれた。センも笑えた。
 まずは自分と。少し自分がわかったら、その自分で他の人と。
 センはセンでしかなくて、クルイであることも変えられないけれど、それでも変わっていける、かもしれない。変わらないといけない、変わりたい。
 行こう。痛みに目をそむけず、歩こう。
(大丈夫、大丈夫)
必死で繰り返した。今はこれで良い。夜依にも言ったではないか、心はあとからついてくるからと。
 それでも利彦や詠花の死、弥久のこと夜依のことを考えると涙があふれた。もう歩き出しているから源衛には見えないのが幸いだ。
 本当に今はこれで良いと思っているのに、どうして涙が出るのだろう。自分と向き合えていないからなのか。センの内側は、こう決めたセンを責めているのだろうか。
(難しいな)
 源衛の言った通り、自分と向き合うのは難しい。
 大丈夫だと言い聞かせてもどうしようもなく悲しくて苦しくて、涙が一筋流れた。頬を伝って地面の色を変えた。
 でも、夏の日がすぐに地面の色を元に戻した。

- 終 -

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本編連載期間:20101218〜20130521





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