愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



夜に依る狂い咲き*6  ||―ヨル ニ ヨル クルイザキ―

 気を失った弥久の体が重くなる。
 遠巻きの人々がセンを無遠慮に見る。それはそうだろう。
「センさんっ」
店の中で腰を抜かしていたお梅が駆けてきた。
「話はあとでしますから、弥久さんを見ていてください。気を失っているだけです。目を離さないで、お願いします」
まくし立ててしまったセンの言葉に、お梅はしっかりと頷いてくれた。
 はっきり言って今の弥久は邪魔だ。心が乱れすぎている。
 弥久と詠花を会わせてはいけない。
 こんな様子の弥久なら詠花でも容易に狂わすことができるかもしれない。それが出来ないなら、きっと弥久は詠花を殺す。
(こんなこと考えたくないな)
しかし既に考えられなかったことが起きている。
 焦りと不安と怒りが渦巻いている中、場違いとしか言いようのない声がした。
「こりゃまあ、派手に死んだな」
人垣が割れる。姿を現したのはハチロクの三枝だった。
 小さく舌打ちしてしまう。来てほしくない人間だ。どう考えたって三枝は詠花や夜依のことでこの場所に来たのだろう。
 無理な話だろうが、ハチロクに関わってほしくない。手遅れのこともあるかもしれないが、詠花が少しでも納得できる終わり方を見つけてほしい。
 そうは言ってもハチロクにはハチロクのやるべきことがある。
(くそっ)
心の中で悪態をついた時、死んだ男を物珍しそうに見ていた三枝が顔を上げた。
「あの」
「まあ、待て」
とにかく先に口を開かなければと思ったが、甲斐なくさえぎられる。
「お前は、センと言ったっけな」
「……はい」
一歩下がって距離を置く。この男、三枝は掴み所がなくて、なにとなく、ぞわぞわする。
(いざとなったら逃げよう)
 三枝は少し笑う。眉間に小さくしわを寄せ、少し困っているようにも見えた。
「そう怖がるな。ハチロクみんなが恐いわけじゃないんだ。それで、面倒くさいことに詠花が夜依という子を連れて逃げたらしいなぁ」
水色屋を見ながら言い、最後にセンに視線を寄越した。
「そうみたいですけど、俺は詳しくは知らないです。水色屋の人に聞いてください」
 こんな場所で時を取られるわけにはいかない。三枝のことは、悪いがお澄たちに押し付けてしまおう。
 三枝の瞳がかすかに細められる。笑っているのか。
「ふぅん、そうなのか。じゃあ水色屋に伝えておいてくれ。今回の件にハチロクは関わらない」
「は?」
 三枝は言い切った。周りにも聞こえる声の大きさ。当然ざわめきが広がる。お梅が真っ先に噛みついた。
「ちょっと、なんでっ。夜依ちゃんを助けてくださいよ。それがあんたらの仕事だろうっ」
センも同じ思いだ。動いてほしくはないが、動かないとはどういうことか。三枝の言い方を見ていると、三枝が面倒がって、という風にも考えにくい。
「意味がわからないですよ。どういうことですか」
 センは不信を隠さなかった。三枝の言葉はありがたくもなんともない。素直に呑み込むには危なっかしすぎる。
「仕方ないんだ、関わりたくとも首を突っ込むなと命が出ている」
 まったく残念そうな様子のない三枝は、懐から紙束を出してセンに見せた。
「なんです、それ」
「偉いお方からの書状でな、和泉宿で何かあった、つまり今みたいな件はある男に一任しろっていう内容だ」
「誰に」
「お前に」
 思いがけないことを言われると、呑み込むまでに時がかかるものだ。
「お、れ?」
「そう、お前だ。長身、長髪で名はセン、旅の者。そんな男、いくら和泉宿だってそうはいない」
そこまで言われて、やっと正気に戻った。
「誰がそんなこと言ったんですかっ」
大声を出しながら、頭の中にかすめた人物。
 センを知るハチロクの者――よぎる姿は、おぼろげ。
(まさか)
「ったく、気まぐれも良いところだろうよ」
 三枝のぼやきはセンにしか聞こえなかったと思う。
新十家しんじっけ三之席さんのせき筆頭・不破関ふわぜき家、前御当主さまであらせられる不破関達馬ふわぜきたつま様だ」
三枝は小難しげな名前を一息に言いあげた。
「は、あ」
(誰だ)
聞き覚えがない。
 しかしそれはセンだけらしい。三枝の口にした名を聞いた途端、違ったざわめきが起こる。センに向けられる視線が途端に好奇を含んだものになった。
 ふわぜき、とは誰だ。なぜセンを知っている。どうしてセンにこの件を任せるのか。そもそも和泉宿にセンがいるのをどこで知ったのか。どうした、なんだ、どうなっている。
 センに考える暇を与えず、三枝は立ち去ろうと背を向ける。
「ちょっと、三枝さんっ」
「おや、名前を覚えてくださって嬉しいですねぇ、セン、さん?」
 ふり返った三枝の口調がわざとらしい。
(俺の正体を知っているのか)
そうだとしてもおかしくない。
「ハチロクは自ら関わることはしません。ですが貴方が命じるなら、クルイでも狂環師でも殺しますよ」
「手を出すな」
いらつきと焦りが低い声となって口をつく。
「あ、ごめんなさい」
慌てて頭を下げた。三枝は軽く笑い、頭を掻いた。
「冗談だよ。誰が殺しなんてめんどうなことするか。大体ハチロクは、『なるべく抜くな、抜いても斬るな、斬っても殺すな』だぜ。あんたの好きなようにしなよ、セン、さん」
 最後、射抜くような鋭い目を向け三枝は去っていった。
(三枝さんは、本当に手を出さないのか)
 三枝に対する疑いは晴れないが、今は放っておくことにした。ハチロクが動き出す前に詠花たちを見つければ良い。その後のことは、その時だ。
「セ、センさん」
 お梅の声を聞いて、気が付く。周りの人々の好奇を含んだ視線はなんなのか。
「センさんって、どこかの若様なのかい。十家様の名前が出てくるなんて、普通じゃないよね」
「いや、俺は」
 こんなことをしている場合じゃない。
「お梅さん、とにかく弥久さんをお願いします。ごめんなさい」
いらいらした気持ちが口調に滲んでしまう。お梅が表情を硬くしたが、それさえ構うのがもどかしく、センは走り出していた。



 見つからなかった。
 宿場役場から逃げ出した詠花と夜依が、見つからない。
 逃げ出したとわかった時点で宿場の入り口である大木戸は閉められたから、和泉宿を出たとは考えにくい。そうなると人気のなさそうな場所を虱潰しに探せば見つかりそうなものだが、見つからなかった。
 見つからない内に夏の陽射しはすっかり勢いをなくした。薄夕闇。もうじき月がでるだろう。
 夜になる。夜は暗い。暗い、暗い、時。
 そのときは。
 クルイがいちばん、狂うとき。



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