愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



夜に依る狂い咲き*5  ||―ヨル ニ ヨル クルイザキ―

 弥久は夢を見ている。夢であることはわかっている。
 弥久は夜依の後ろ姿を見ていた。だからこれは夢だ。夜依は今、沙智とともに消えてしまったのだから。
 早く目覚めなければ。目を開けろ、早く夜依を探してやらないと。
 急く心に反して弥久の体は少しも動かない。体があるのかわからないような気がする。それなのにはっきりしない重さにのしかかられているような、不思議な感覚だった。
 夜依が立っているのはうす暗い牢。見覚えがある。宿場役所の牢だ。さっき弥久が昼飯を届けた。牢に入っている沙智を見るのも、そんな沙智を見る夜依を見るのも辛かった。
 夢の中の夜依が一歩遠ざかる。なぜ沙智の牢の鍵がかかっていないのだろう。入り口は開いていて、夜依は牢の中に入っていく。叫ぼうとしても声にならなかった。
 沙智は夜依を抱きしめた。
 何してんだよ。夜依に、なにしてんだよ。
 沙智に抱きしめられたまま夜依が振り返る。弥久と目が合う。
 いや、合わない。合う目がない。黒目が無い。そうだ、黒目が。夜依はクルイになったのだった。
「うそだ」
 目が覚めた。天井が目に入る。夜依を探さないといけないときに、どうして寝ているんだ。自分に憤った。センが顔をのぞき込んできた。
「弥久さん、大丈夫?」
「夜依はっ」
 それだけが聞きたい。センの視線がかすかにずれる。口を開いたと思ったら、ぎゅっと閉じてしまった。
「見つかったのか?」
「いや、まだ」
落胆と、微かな安堵があった。最悪の形で見つかったのなら何の意味もない。
 起き上がろうとする弥久をセンが止める。
「無理しない方が良いよ」
「無理もなにも怪我も病気もしてねぇよ、離せ」
「夜依ちゃんと詠花さんは、今みんなが探しているから。俺も今から探しに行く。とにかく落ち着いて」
その言葉を聞きたくはなかった。やっぱり沙智が夜依を、クルイにしたのだ。
「離せよっ」
思うように動かない足がもどかしい。もどかしい、もどかしいっ。
「夜依をっ、夜依をっ、クルイなんか、じゃ……っ」
 肩を掴むセンの力が強くなる。反対に、声は弱々しかった。
「殺さないといけないんだよ」
思わずセンを見つめた。暗い瞳をしていた。その瞳でまっすぐに弥久を見る。
「夜依ちゃんを元に戻すためには、詠花さんを殺さないといけないだよ」
それが弥久に出来るのかということか。
 何も考えることなんてない。
「やるぜ、当たり前だ」
センの瞳が大きくなった。瞳に映る弥久の顔は、我ながら恐い顔だ。自分に確認するように、言った。
「夜依は俺の全てだ」
 夜依を取り戻すために必要なら、殺してやる。
 沙智には弥久も世話になっているし、夜依が大好きな人でもあるし、利彦の大事な人でもあるが、夜依を元に戻すためなら何の枷にもならない。
「殺してやる」
夜依が戻ってくれるなら、何を失おうと構わない。
「夜依は、俺の全てだ」
 センの腕から力が抜けた。弥久は転ばぬように急いで立ち上がる。襖を引いて店の外を目指した。弥久の言葉が応えたのか、センは止める素振りを見せなかった。
「夜依、夜依っ」
 廊下でお梅と出くわし呼び止められたが、答えず水色屋の前の通りに出た。
 男たちが組になっているのがいくつか見える。沙智を探しているのだろう。夜依はどこにいるのだろう。沙智と一緒なのか。きっとそうだ。
 ざ、ざざ――と。
 弥久の耳は音を捕らえた。
 鼻は血の臭いをかいだ。
 後ろだ。
 ふり返る。
 白い目。一瞬夜依だと思った自分を嗤った。
 いつぞやの破落戸が、狂っていた。人のクルイを見るのは初めてだ。
 口の端からあぶくだった血を流している。
「あ、が、ああ」
 男は手に短い槍みたいなものを持っている。それを振り上げ、一歩こちらへ。刃が昼下がりの太陽を鈍く反射させた。
 あちこちからの悲鳴や怒声はやけに遠い。
 弥久は本当に笑ってしまった。恐い。
 店の中からお梅の叫びが聞こえた。やっぱり、遠い。
 恐い。一歩近づいて、すぐ目の前。弥久も一歩下がろうとしたが、上手くいかず尻もちをついた。
 動けない。情けない。こんなんじゃ、夜依を守れないのに。震える体は動かない。男が腕を振り下げる。目をつぶった。
 こんな所で死んでちゃ、夜依を助けられないのに。恐くて、動けない。
「がっ、あ、あ」
 弥久に痛みはなかった。うっすら目を開けると、男が持っていた刃物をセンが掴んでいた。握る手の間から血が流れている。
 男はゆらっゆらっと後ろに下がっていく。変な動きだった。
「弥久さん、見るな。目ぇ瞑って」
センの声は低く固く、怖い。今までの恐さとは違うけれど、怖い。
「セ、ンさん、あれも沙智、さん、が」
 弥久の知る沙智がぼやけていく。夜依の姿が男の姿と重なっていく。
 男はびくんとなって、吐きだす血が多くなった。
「いいから、見るなっ」
センが叫んだ時には、男が潰れていた。体の中身をまき散らし、ばったんと倒れた。
「ひ、ぃ」
 夜依の姿と重なった男が、死んだ。甲高い女の悲鳴がする。やけに遠い。
「夜依、夜依っ、いや、だ」
 センの舌打ちが聞こえた、と思ったときには胸倉を掴まれ引き立てられている。
「セ、ンさ……っ」
腹に衝撃だが痛みだかを感じる。
 夜依、夜依、夜依っ。心は急くのに体からは力が抜けていく。暗くなっていく。なんで、どうして。
 暗くなっていく中で、センの顔を見た。怖い顔を、していた。



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