愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



夜に依る狂い咲き*3  ||―ヨル ニ ヨル クルイザキ―

 話が来たその日のうちにに、夜依が詠花の世話をすることが決まった。昨日のことだ。
「夜依ちゃん、一日中詠花さんの側にいるの?」
「ああ。どうせ店も休みだからな」
 水色屋は今日も店を閉めている。センと弥久は、宿屋の二階からぼんやりと和泉宿の往来を眺めていた。夏陽に照らされる地面や歩く人々は暑そうだが、ここは風通しが良く心地良い。風が吹くたびに揺れ鳴る風鈴もまた、涼を誘う。
 なにとなく弥久の元気がないような気がする。夜依が詠花の元にいるから機嫌が悪いのだろうか。
 りん、と風が風鈴を抜けた。
「あのさ、センさん」
ふいに弥久が声を上げてわらいだした。
「え、なに?」
なにか面白いものでもあったのだろうか。センは外に目をやり、きょろきょろやった。
「いや、違うって。あのさ、言っておくけど、いくら俺でも沙智さんに夜依を取られたって思って拗ねたりなんかしないぜ」
 心中を言い当てられ、思わず「う」とも「あ」ともつかない声が出た。
「センさんは本当に顔に出やすいよなあ」
「う、ごめんなさい。でも、なんとなく弥久さんの元気がないように見えたから」
夜依が少しでも元気になったのに喜ばないなんて、それくらいしか理由が思い浮かばなかったのだ。
「沙智さんに妬いてんじゃねぇ、怖がってんだ」
 ぼそっと言った。
「こわい、って」
そういえば昨日も同じことを言っていた。
 何が、怖いのか。
 弥久はセンの方を見ぬまま続ける。
「みんなが沙智さんの世話をしたがらないから夜依に話が回ってきたって女将さんが言ってただろ。俺も一緒だ、沙智さんのことを怖がってる。夜依を沙智さんの……狂環師の側に置いておきたくねぇ」
詠花を狂環師と呼んだ弥久の顔は辛そうで、それ以上に嫌悪や怖れがはっきりと表れていた。
 センはびっくりした。
 頬を軽くはたかれたような、痛みのない、ただただ驚きだけをもたらす言葉。
(そうだ、そうだった)
“人”にとって“狂環師”や“クルイ”なんて相容れるわけもない、忌むべきものなのだ。
 なぜか忘れかけていたその事実を思い出し、センはびっくりした。
「これが俺の本音だ。嫌な奴だろ」
 弥久はセンを気にすることなく、ふんと鼻を鳴らし嗤う。
「そんなことないよ」
センは反射のように答えていたが、それ以上は続かなかった。
 黙り込むひと間にまた、りんと風鈴が鳴る。
 それを転機に、センはずっと気になっていたことを聞いた。
「詠花さんは、どうなるの」
弥久も真面目な顔になる。
「なんだか、三すくみじゃねぇけど、三つあって、どうするか揉めてるって」
語尾にため息が混じる。
「三すくみ?」
「一番おっかないのが、殺しちまえってやつ。古参の店(たな)の旦那さんたちがとにかく怒っているらしいんだ」
「そんな……」
狂環師の末路なんて死ぬだけしかないのだろうか。
「あ、でもたぶん大丈夫だぜ」
弥久はセンの顔を見て、すぐに言い足す。
「一番意見が強いのは総締めである亀戸屋さんで、亀戸屋さんは牢込めにすべきじゃないかって。水色屋(うち)や沙智さんがいた明冲屋も同じ了見だっていうから」
少し、安堵する。
「殺すのと牢込めと、あともう一つはなんなの」
「あとはとりあえず和泉宿から追い出せばいいっていう追放だけど、まあ、最後は牢込めになるんじゃねぇかって言うのが専らだなあ」
 そう言いながら弥久は髪の毛をぐしゃぐしゃと掻いた。
「どっちにしろ、沙智さんも利兄ぃもいなくなっちまうんだ」
見つめる先は、遠く。
「利兄ぃは、どんな沙汰が下されたって沙智さんについていくってさ」
ははっとおかしくもないだろうに弥久は笑う。
「利彦さんと話したの?」
「ああ、少しだけな。『もう沙智を離さない。ひとりにしない。ずっと一緒にいる』なんて、やっぱ男前は言うことが違ぇや」
軽い口調とは裏腹に弥久の目元が少し赤い。
(淋しいんだろうな)
 もっと難しい名の想いがあるのかもしれないけれど、センには淋しさくらいしかわからない。詠花についていくということは、万が一利彦は死んでしまうのかもしれない。利彦は本気で言っているのだろう。おそらく殺すという裁量は下らないから、なんて考えていない。本気で、詠花と一緒にいくのだ、どこまでも。
 遠くの?の音を聞きながら、やけに冷え冷えとした空気の中にいた。
 ふいに弥久が声を出す。
「もうひとつだけ、俺の本音を言おうか」
とても暗い笑み。
 ゆっくりした話し方。
「人の一生を狂わせた奴は、報いを受ければ良いんだ。狂環師に限らず、みんな」
いつもよりも低い声のせいだろか、センの背中に寒気が走った。
「俺って本当に嫌な奴だな」
「そんなことないよ」
今度は心の底から言えた。
「弥久さんは優しい人だよ」
 報いを受けるべきだと口にする弥久の顔が、とても苦しそうなのだから。
 弥久は着物に隠れて見えない右足の傷痕に目をやり、苦い笑みを浮かべた。



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