愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



花閉じの静寂*6  ||―ハナトジ ノ シジマ―

「申しわけありませんでしたっ、どんなお咎めでも受けます」
 弥久が源衛の前で土下座をする。源衛の後ろにはお澄も控えていた。センはその様を少し後ろで見ているしかない。
 センがハチロクの詰め所から水色屋に戻った頃には、詠花の話はすでに人々の口に上っていた。弥久も詠花が狂環師であると知り、すべてが繋がったのだろう。「旦那様にすべて話す」と言い、今に至る。
 センの刀を盗んだことを告白し頭を下げた弥久を、源衛は無言で見つめていた。表情の無い顔は、かえって恐ろしい。
「あの、弥久さんは」
沈黙に堪えきれなくなってセンは口を開いた。弥久は悪くないのだと伝えたかったが、言うより先に源衛が視線でそれを制した。
「センさん、優しい貴方のことだから、許してやれというでしょう。でもだからこそ、ここに関しては口を挟まないでいただけませんか」
「そんな」
源衛は弥久を許さないということだろうか。
「利彦、入りなさい」
 源衛は弥久ではなく隣の部屋にいる利彦を呼んだ。
 襖が開き、利彦が弥久の隣に腰を下ろす。深く頭を下げた。
「利彦」
「はい」
疲れのにじむ声だ。
「お前の心は、決まっているのか」
 源衛の声は弥久やセンに向けていたものより低く、掠れていた。噛み締めるような沈黙のあと、利彦が口を開く。
「……沙智と行きます、どういうことになったとしても」
「利兄ぃ」
ため息に乗せ、弥久が呼んだ。
「水色屋を辞めさせてください。俺はもう、迷いやせん」
「利兄ぃっ」
また弥久が細い声で叫んだが、利彦は何も答えない。
 源衛は硬く目を閉じたまま、黙る。
「お澄、私には無理だ、わからない」
源衛がそう言うまでに、しばらくかかった。苦々しい声で、最後はため息交じりだった。ふ、と口元に歪んだ笑みを浮かべる。
 お澄は反対に、柔らかい顔で源衛を見つめた。
「こういうとき、私は何も決められない……やはり私は旦那の器の無い婿だったのかね」
「そんなことないです。あなたは立派な旦那ですよ、立派だからこそ、その言葉を言えないんですよ……利彦」
「はい」
「良いでしょう、辞めなさいな」
(そんな)
「ありがとう、ござます。世話になりやした」
深く頭を下げた利彦は、ちょっとだけ顔をあげ、早口に言う。
「旦那さま、いえ、源衛さん、言える筋じゃねぇのは承知してやす。でも、沙智のことを、」
源衛はそれを手で制した。
「それ以上言うな、利彦。それを聞いちまったら、俺ぁ俺の筋を通さなくちゃあ、いけねぇ」
「はい」
立ち上がった利彦を弥久が見上げるが、利彦は一瞥もしない。源衛たちに頭を下げたところで、
「利彦、待て。待ちなさい」
 源衛が呼びかける。利彦が顔を上げた。
「お前に憎まれるのが嫌だったから、ずっと言っていなかったことがあるんだが……辞めるなら関係ない、聞いていけ」
ひどく平坦な口調。利彦は何も言わず再び同じ場所に座った。
「沙智が神隠しに遭う少し前、大黒屋の浅右衛門が俺のところに来た」
利彦の肩がぴくりと動く。
「沙智の親父さんがですか」
掠れた利彦の問いかけに源衛は小さくうなづいた。
「金を貸せと言ってきた。でも俺は、いや水色屋はそれを断った」
「どうして」
やけに早口で呟いた利彦はすぐに「すいやせん」と謝った。
「水色屋だけじゃねぇ。他の宿内の店も、みんなだ。大黒屋が無心にきて貸した店はなかったはずだ」
「それは、浅右衛門、さんの所為、ですか」
「ああ、そうだ」
はっきりと源衛が言ったとき、利彦が手を固く握りしめた。
「浅右衛門はその前にも、色々なところから金を借りていたんだ。それでも一向に店の調子は変わらない。浅右衛門の生活も改まらない。だから亀戸屋の爺さんが和泉宿の総意として決めた……だが金がねぇからって、まさかてめぇの娘を売っちまうとは思わなかったな」
源衛の話ぶりはやけに冷めているというか、冷たく聞こえた。昔の話だから、想いが褪せてしまっているのだろうか。
「そう、か。そうでしたか」
 利彦はぼんやりと言葉を吐きだし、ふらりと腰を浮かせた。
 源衛は、一転。
「すまなかった……っ、利彦」
怒鳴るように叫ぶと額を畳に付けた。
 利彦はもちろん、センも弥久もぎょっとして、一瞬固まった。源衛に続くようにお澄も頭を下げた。
「旦那さまっ、やめてくださいっ。女将さんもっ」
利彦が叫んでも顔を上げない。
「あの時、俺ぁは水色屋の主人として動いた。曲りなりにも水色屋(ここ)の主だ、それは間違っちゃいねぇと思ってる。でも、それでも、沙智が売られてからずっと、利彦、てめぇには済まねぇ気持ちでいっぱいだった。すまねぇ、すまねぇっ」
 ず、っと鼻をすする音。
「利彦と沙智、両方の気持ちをわかってた。さっきはああ言ったが、浅右衛門ならてめぇの贅沢のために娘を売っぱらちまうんじゃないかって、考えたことがないわけじゃなかったんだ……そんでも俺ぁ、すまねぇ、利彦、今まで黙っていて、すまねぇ。おめぇらに白い目で見られるのが恐くて、ずっと、言えなかった」
「だ、旦那さま、顔をあげて、ください。お願いですからっ」
利彦の声は掠れていた。源衛もひとつ息をついた。
「ああ。ただ、沙智が狂環師になっちまった原因の根っこの近くには俺も埋まってるんだ。そこは、覚えとけ」
「そんなこと、ありやせん」
センもそう思った。
「いや」
 源衛はやけに強い口調で否定する。
「そう思え、利彦」
源衛は利彦を真正面から見る。
「お前だけじゃないことを忘れるな、利彦。お前はきっと沙智のことに関して悔いも憎しみも消せはしねぇんだ。だったらせめて、てめぇを含めた多くを憎め、自分の所為であって、また誰かの所為なんだ」
「だから、そんな」
口早に言った利彦は、だけれど、そこで言葉を止め押し黙った。
「……ありがたく、憎ませてもらいます」
固い声が、途中震えた。それを押し込むように、利彦は深く、ふかく頭を下げた。
「旦那さま、女将さん、本当に、ありがとう、ございます」
「礼を言われるようなこと、してねぇって言っているだろう」
 それだけ言って源衛は弥久に目を向ける。弥久がばっと頭を下げた。
「弥久、見ていたな」
「はい、あの、それで俺は、」
「弥久がセンさんにしたことは許されることじゃない。でも私が利彦や沙智にしたことも許されることではない。少なくとも私はそう思っている」
一息おいて、源衛は続ける。
「それでも私は、利彦に話したことで私なりに決着をつけた。ひどく手前勝手な言い分だし、それで許してもらって気分が良い、というわけでもない。でも、私は私なりに話をつけた……弥久も、そうしなさい。店をやめて責をとるという問題じゃない。奉公人の責は私が負うものだよ。これは弥久とセンさんの話だ」
「っ、はい」
源衛は立ち上がり、センに一礼すると出ていった。センも慌てて頭を下げた。
 あとに続いたお澄がちょっと足を止め、
「センさん、本当はごめんなさいっていうべきなんでしょうけど、ありがとうございますね」
「いや、俺はなにも」
うすい笑みを残しお澄が出て行った。
 センと弥久と利彦。最初に口を開いたのは、利彦。
「よかったな、弥久」
少し赤くなった目元を微かに細める。
「弥久があんなことしたのも、結局は俺のせいだから。もしお前が店を追い出されるようなことになったら、どうしようかと思っていたんだ」
「そんなことねぇよ、利兄ぃ」
弥久の声は湿っぽい。
 利彦がおもむろに手の平を弥久とセンに見せてきた。にやりと笑っている。
 利彦の手には肉刺(まめ)がいくつもあり、それがつぶれて肌はぶ厚くなっていた。きっとこの手は湯場の仕事だけで出来たわけじゃない。守ってきた手だ。ぼろぼろだけど、強い手だ。
 ぎゅっと手を握り締め、利彦は弱々しく笑う。
「俺は、何も守れたためしがない」
ふっ、ふっ、と笑っているのか嗚咽なのかわからない声。利彦が唇を噛んだ。目じりから涙がこぼれた。
「俺ぁ、何も守れない……初めて好きになった女も守れなかったんだ」
傷だらけの手の平で顔を覆い、震える声を絞り出した。
「守れなかったんだ」
 何も言えなかった。
(まただ)
言葉を知らないことを、ひどくもどかしく感じた。
 弥久も利彦と似たような顔をしていた。唇を引き結び、ぎゅっと手を握り締め、目じりには涙が滲んていた。
 誰も話さない中、利彦だけが続ける。
「俺はもう、守れるなんて自惚れねぇ。けど」
ぼろぼろの手のひらを、ぎゅっと握り締める。
「けど、もう、沙智のことを離さない、それだけだ」



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