愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



疑留*8  ||―ギル―

「なんでまだ、ここにいるんだ、センさん」
 低い声。利彦がセンをにらみつける。頬にぴりぴりと突き刺さるのは、きっと怒気だ。怒りをあらわにする利彦に対して、センは笑う。
「なぜって、刀がないからですよ」
利彦の目がさらに細くなり、眉間にしわが寄る。
「言い方を変えやしょう……なにが目的だ」
センは笑みを絶やさない。
 青い空ともくもくとした真っ白い雲。降り注ぐ日差しが地面を灼いている。こんな夏らしい、爽やかな日にセンは利彦に睨まれている。
 爽やかな日と言っても、センと利彦が向かい合っているのは、水色屋の敷地外れの、陽のあたらない場所だ。ひんやりして心地良いというよりも、やけにじめじめとしていて、ずっといると不快になってくる。
「やっぱりハチロクなのか」
「いいえ」
センはにっこりと答える。あくまでセンは、笑みをたやさない、けれど、
(こわいなぁ)
心の内ではびくびくしている。今すぐ謝って逃げ出したい。
(利彦さんの顔や雰囲気の方がよっぽどハチロクみたいだ)
 センの表面しか見えていない利彦は、更に凄みのある顔をした。
「センさんが出ていかないなら、俺は弥久がやったことを旦那さまに言う」
「あなたはそんなこと出来ない」
利彦の眉が微かに動く。
「おかしな話じゃないですか。弥久さんを追い出して苦しむのは、俺よりも利彦さんだ」
「そう、だな」
利彦の握り締めた拳が震えている。
「でも、弥久の名を出さなくても、センさんを追い出す、いや出て行ってもらう方法は他にもありやすよ」
センがわざとらしく首をかしげると、利彦は微かに笑った。ずるさのにじむ、利彦らしくない笑み。
 軽い吐き気がした。
「センさんの刀が見つかれば良いんでしょう」
「見つけられますか、利彦さんに」
ぐ、と利彦の目に力がこもる。
「俺と弥久の付き合いをなめるなよ」
弥久が物を隠しそうな場所ならすぐ見当がつく。そんな利彦をセンは嗤ってやった。
「ねえ、どうしてそんなに俺を追い出したいんですか」
「あんたがいなくなれば、全て丸く収まるからだ」
「ほんとうに、そうですか」
利彦の瞳が揺れる。
「ねえ、利彦さん、本当に、みんな――幸せになれますか」
 ひ、と利彦の喉が鳴った、気がした。でもそれは気のせいで、実際に利彦が口にしたのは、
「何が悪ぃんだ」
呻きに似ていた。歪む表情が、夜依を殴った後の弥久の姿と重なる。
 利彦は追い詰められているのだ、とても、とても。胸が苦しくなる。
「俺ぁ全部守りたくて、なにも失いたくない。それのなにが悪いってんだっ。それにはてめぇが、邪魔なんだ」
 センは嘘笑いをやめる。利彦が落ち着きを取り戻すまで待った。
「利彦さんが本当のことを言ってくれるなら、俺も嘘の笑いはやめますよ」
 ひるんだように一瞬弱い表情を見せ、利彦が一歩下がる。センは続けた。
「悪くはないけど、馬鹿です。みんな守るのなんて、一人じゃ無理だ」
「でも、俺は」
「ひとりでクルイを相手にするのは、無茶です。どうしてハチロクに頼らないんですか」
利彦は再びセンを睨んだ。
「弥久さんから聞いたんです」
 利彦はクルイと戦っている。
「もういい」
 小さく舌打ちをし、利彦はセンから目を逸らした。
「話してくれませんか、力になりたいんです」
「悪ぃけど、俺はセンさんを信じきってねぇ」
センから目を逸らしたまま口早に言い、利彦は踵を返す。
「利彦さんっ」
利彦はふり返り、口を開いた。
 その顔は頑なで、弱々しく、今にも泣き出しそうだった。
「俺は、大切なものを守るのに人の手は借りねぇ」




『利兄ぃはクルイと戦っている』
 弥久が教えてくれた。弥久が夜依を叩いて、泣いたあの日に。
 五ヶ月ほど前だった。
 夜中、弥久が便所に起きた時たまたま水色屋を出ていく利彦を見た。きっと詠花に会いに行くのだろうと思っていたが、次に見たとき、それは違うと気付く。
 店に戻ってきた利彦はぼろぼろだった。暗い中では着物が破れているのくらいしかわからなかったが、思い返せば利彦の体には細かな傷が多い。湯を沸かすのに薪を割るとき破片で切っているのかと思って気にも留めなかったけれど、素人でもあるまいし、毎回傷をつくるというのもおかしい。
 じわり、と滲んでいく不安。そんなとき聞かされた、夜依の言葉――利兄ぃったら最近、よく森に行くのよ。夜依の口調は軽かったが、弥久の不安は増す。
 森。最近、柄の悪い連中がうろついていると言う。そんな場所に、利彦は何の用があるというのだろう。昼だけではなく、夜も森に行っているのだろうか。
 利彦に聞くことはしなかった。できなかった。夜森に向かう利彦の姿がとてもとても恐くて、簡単に壊れてしまいそうなほど脆かったから。
 だから、弥久は森へ行ったのだ。夜の森へ行った。
 弥久の足では利彦をつけることなんて出来ないから、待ち伏せをした。行きそうな場所に目星を付けて、空振りを繰り返した。柄の悪い連中がたむろする場所を見張ったこともある――信じたくないけれど利彦が連中とつるんでいる可能性もないわけではないから。そこにも利彦はこなかった。
 何度も空振りをくり返し、やっと見つけたのはつい最近。センが和泉宿に来る八日前だった。夏の気配の立ち込める夜、利彦を見つけた場所は藤下泉。
 和泉宿という名の由来にもなった泉だが、そんなに大きいものではない。子供が二、三人入ればあふれてしまう泉の底からは、絶えず水が湧いている。
 泉の周りには木々がなく開けている。そこで利彦は、クルイと戦っていた。数匹の獣を相手し、殴っては、後ろから噛みつかれ、今度はそちらを殴り、背中をひっかかれる。それをくり返し、最後に立っているのは利彦だった。利彦は殺した獣を森の奥に運んでいった。夜目を凝らして見ると、手を合わせているように見えた。
 ふらつきながら藤下泉を後にする利彦を、弥久は黙って見ているしかなかった。なにも出来ない自分が、悔しかった。何とか利彦を助けたかった。だから――。
 弥久の話は最後、ごめんで終わった。



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