愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



疑留*2  ||―ギル―

 水色屋の風呂場は広い。宿屋とは別に、独立した建物になっている。それもそのはずで、水色屋は元々、湯屋と宿屋がひとつの店になったものなのだそうだ。
 ことの起こり何代か前。隣同士だった湯屋の息子と宿屋の娘が好き合った。だかしかし、ふたりとも一粒種の跡継ぎである。一緒になることは出来ない。そうなればこそ、なお一層想いは募っていくもので、ついに娘は恋し恋しで臥せってしまう。
 ああ、結ばれぬふたりの恋、哀れ哀れ――と、普通ならそこで終わる話である。
 しかし、娘のふた親は、娘をひどく可愛がっていた。それはもう、宿場内中に娘にたいする甘さが響きわたっているほどに。娘の望むことなら、なんでもしてあげたい。
 そこで頭をひねって――というにはあまりにも単純な方法だが――湯屋と宿屋をくっつけてひとつにしようと言いだした。湯屋の主人がすぐに「うん」と言ったのか、嫌だの末に根負けしたのかは定かではないが、これにてようやく、湯屋・水野屋と宿屋・一色屋(いっしきや)がひとつになった。
「ああ、それで水野屋の「水」と一色屋の「色」をとって、水色屋ができたってわけか」
「はい、そのとおりです」
 夜依がこっくりと頷いた。
 センは水色屋の一室に戻ってきていた。世話係は夜依で、二日ほどになる。夜依は昼間、ほとんどの時間をセンと共に過ごしている。芳安老人に安静にしているように言われたセンは、一日中寝ているだけであるから、必然、夜依もセンの枕元で座っているだけだ。
 当然ひまなので、あれやこれやとお喋りをしている内に水色屋の成り立ちを聞いた。他にも印象に残った客の話しやうわさ話など、おもに夜依が話してセンが聞く。
 こんな感じで、二日、
「ねえ、夜依ちゃん、ずっと一緒にいてくれなくても大丈夫だよ、俺」
何度目かの同じ言葉を言った。夜依は、困ったように笑う。たぶん夜依自身は、自分が不自然な笑みを浮かべていることに気づいていないのだろう。
「あ、いいんですよ、全然。お兄ちゃんや利兄ぃからも、センさんのお世話をするように言われてますし!」
口調だけがやけに元気だ。
「……そう」
(利彦さんはあまり夜依ちゃんに湯場で働いてほしくないって言ってたしなあ)
利彦の気持ちを知っているからセンも無理に追い返したりはせず(と言ってもそんなことセンにはまずできないが)、夜依に細々としたことをやってもらっている。
 夜依が少し目を伏せ、早口に呟く。
「それに、センさんはわたしの恩人ですし」
少し頬が赤いだろうか。センの世話をしていて、返って自分が疲れてしまったのかもしれない。
(それにしても、夜依ちゃんは義理深いなあ)
 センに助けられたことに恩を感じていたとしても、今となっては夜依がセンにしてくれた方が多いだろうに。
(俺がしたのなんて、森で破落戸をけちらしただけなのに)
 そこでふと、疑問が浮かんだ。
「ねえ、夜依ちゃんはどうしてあの日、森にいたの?」
夜依を水色屋に届けたときの記憶をたどると、森へ行ったことを叱られていなかったか。
 夜依は気まずそうな、小恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「あの日は、利兄ぃを追いかけて森に行ったんです」
「えっ」
(利彦さん?)
「どうして?」
夜依が一瞬、にやりと笑った。
「利兄ぃが、浮気してるんじゃないかって」
「う、うわき!?」
 センは間抜けな声で繰り返した。まさか夜依の口からそんな言葉がでるとは思わなかった。
(まあ、夜依ちゃんも仕事柄か、ませているから)
なんとか気を持ち直す。
「で、でも利彦さんには詠花さんが」
「そ。だから怪しいなあって……利兄ぃね、少し前から昼になると、ときどき抜け出してどっか行っちゃうんですよ。だからあの日は後をつけて……」
最後まで言わず、夜依はうつむいた。微かに体が震えている。
「嫌なこと思い出させちゃった、ごめんね。夜依ちゃんが無事で、本当に良かった」
 頭を撫でる。夜依の髪はさらさらとして、心地良い。
「あ、あの、センさんっ」
夜依が勢いよく立ち上がる。
「のど渇きませんかっ!? ちょっと、あの、水持ってきます」
そのまま急いで部屋を出ていった。
(頭を撫でたのがいけなかったかな、子ども扱いしたように思われたかな)
 ふむと考えてみたが答えは出なかった。
(まあ、今度から夜依ちゃんのことをあまり子供あつかいしないようにしよう)
「利彦さんの方が先に森に行ったのか」
 センはごろんと天上を仰いだ。
 夜依を助けたあの日、利彦が夜依を付けてきたのだと思っていた。付けたというか、見守っていたとか、そういう意味。夜依が森に行ったのを見て、心配で様子を見ていたのだと、思っていた。
 でも実際は逆だった。
(利彦さんは、何をしに森に行っていたんだろう)
あのときの状況から考えると、夜依は利彦を見失っていた。たぶん利彦が意図的に巻いたのだろう。
(そして、利彦さんは夜依ちゃんから離れたどこかに、いた)
そうでなければ、夜依が破落戸に絡まれた時点で助けに入っていただろう。
 柄の悪い連中がうろついている森で、誰かと待ち合わせしていたというのだろうか。宿場内では堂々と会えない人物。誰と会っていたのか。
 それとも、または――。
(なにか、をしていたか)
「なにを?」
(宿場内では堂々とできないこと?)
答えなんて、わかるわけがない。答えを決められるのは本人だけで、答えを知るには本人に直接聞くしかない。
「聞くしか、ないんだよなあ」
どんな答えが返ってきてもくじけない覚悟ができたら、と思っていたけれど……早い方が良いかもしれない。
 くじけたなら立ち直ればいいけれど、手遅れは取り返しがつかない。
(後悔を重ねて、届かないものに手を伸ばすのは、もう沢山なんだよ)
「ねえ、千花」
夜依が戻ってくるまでの束の間、過去に手を伸ばし、また後悔を重ねる。



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