愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



小弛みの水色*3  ||オダユミ ノ ミズイロ

 前触れなく、そいつらはやってきた。森で夜依を連れ去ろうとした男たちだ。日暮れ近く、これから客が入ろうという時分だった。
「この宿にいることはわかってんだ、今すぐ出しやがれっ」
男が怒鳴り、源衛とお澄がまあまあとなだめる。そんな様子をセンは、二階の窓からそっと見ていた。そばには弥久と夜依もいる。夜依は青白い顔をし、小さく震えている。そんな夜依を弥久はぎゅっと抱きしめている。
 また怒鳴り声が聞こえ、夜依はきゅっと体を縮ませた。
(ったく、しつこい奴らだ)
「弥久さん、やっぱ俺、行くよ、話つけてくる」
立ち上がったセンに弥久が慌てて引きとめる。
「待って、駄目だ、危ない。いくらセンさんが強いって言っても、あっちは刀持ちだ……センさんは今、無腰じゃないか」
しゅんと目を逸らし弥久が言った。
 センは口を開けたが、結局何も言わず閉じる。代わりに夜依が開いた。涙声。
「あの人たちはあたしを呼んでいるんだから、センさんが行くことないんです。だったら、あたしが行きます」
「何馬鹿なこと言ってんだ、夜依っ」
「夜依ちゃんは絶対出ていっちゃだめだよっ」
センと弥久に同時に言われ夜依は力なく、弥久の胸に顔をうずめた。
「センさんも行かないでくれ、巻き込みたくない。あいつらはたぶん金目当てだから……」
「だって、癪だろ」
弥久の言いたいことはわかる。奴らが金目当てなら源衛は金を払うだろう。センもそういう理不尽なめには散々遭ってきた。
(でもまあ俺の場合は、クルイで逃げている身だから仕方ないのかもしれないけど)
水色屋の人たちはちがう。なぜきちんとした理由もなく金を払わなければならないのか。
 センはにっこり笑みを作る。最近作り笑いがばれることが多いけれど、この笑みはばれていい笑み。
「大丈夫だよ、弥久さん。剣呑な話をしてくるわけじゃないから、ちょっと、説得を、ね?」
「……その笑みが何より剣呑なんだ、やめてくれよ」
 センはへらっと笑いかけ、表へ出た。


「ですから、そんな娘はうちにはいませんよ」
「あんだと! てめぇら、この傷見やがれ」
 男は白さらしでぐるぐるに巻いた腕を振り上げた。源衛は冷やかにそれを見、
「大の男四人もさらし巻きにできるような娘、そうはいませんよ。もちろんうちにもそんな熊女はいません」
口調だけは丁寧に言った。男たちの浅黒い肌がどす黒くなる。
「これはっ、急に現れた、」
「俺じゃないですよ?」
センは言った。
 突如店先に現れたセンに、男たちだけでなく源衛やお澄も目を丸くする。
「センさん、センさんに出てもらうことでは」
お澄が眉をひそめた。センが現れると話がややこしくなる、と言いたいのだろう。それはセンだってわかっている、が。
「女将さんも源衛さんも中に入ってもらって良いですよ。俺が勝手に出てきて、あの人たちとお話するだけですから」
センは穏やかに笑ったつもりだったが、お澄と源衛はさらに表情を硬くした。
「て、てめぇっ、なんでまだ、こんなとこにまだいんだ!」
 一人の男が威勢のいい声で怒鳴ったが、声だけで、早くも及び腰になっている。センはあくまで笑みを崩さない。
「なぜって、ここの湯が肌にあったみたいで」
頬をつるりと撫でてみる。
「ここは湯治宿じゃねぇ! さてはてめぇ、ここの用心棒かっ」
宿というのは旅の途中に立ち寄る場所であって、滞在する場所ではない。湯治の場合は七日一回りとなるが、和泉宿は湯治場ではないし、水色屋も湯治宿ではない。
「あはは、違いますよ。本当は金なし奉公ですよ……でも、あなたたちがそう思うなら」
センは男たちに一歩近寄り、一段と笑みを濃くする。
「痛い目見させてあげましょうか。あなたたちが二度と悪いこと考えられなくなるくらいに」
ひっ、と誰かの喉が鳴った。
「でも、俺は用心棒っていうよりも、ただ痛めつけるだけの方が得意ですよ」
 目の前の男の瞳は完全に萎えたが、後ろの男たちが余計なことを口にした。
「びびってんじゃねぇ、こんな丸腰の奴、やっちまえ」
(ちっ、面倒だな)
出しゃばって自分に任せろといった以上、店先で派手に暴れたくはない。思い切り脅してこの土地から追い出そうと思っていたが。
(流石に四人相手だと、面倒だ)
やられる気はしないが、無傷というわけにはいかないだろう。
(あんまりにも無鉄砲すぎたな)
 よし、と腹に力を込めたとき、ふいにその声は聞こえた。
「あらあら、皆さん、こんな所でなにやってるのサ」
その人に目をやった全員が、目を奪われた。
(誰だ……)
綺麗な女だった。ぞ、と寒気のするほど整った顔立ちの女。白い肌には昼陽の下で見ても染みひとつなく、ゆるく結いあげた髪は「緑の黒髪」という言葉はまさにこんな髪を例えるためにあるのだろうと思わせる、艶やかな髪だ。
 そんな女が艶然とした笑みを湛え、立っている。
「詠花(よみばな)」
いつの間に現れたのか利彦が女の名を呼んだ。
(よみ、ばな……?)
センはため息のようにその名前を心中で繰り返した。
「あら、利さん」
 詠花と呼ばれた女は利彦を一瞥しただけですぐにセンと男たちの方に視線を戻した。
「こんな所で突っ立ってたら迷惑だろう? うちの店においでナ」
さっぱりした口調で言った詠花に、
「おいっ、詠花っ」
利彦が硬い声を発した。しかしやっぱり詠花は利彦をちらりと見ただけだ。
「大丈夫よ、利さん。ネ、あんたたち、まさかあんたら、か弱い女をよってたかっていじめようなんて気、ないだろう?」
「ああ、ああ。あんたみたいな女に酌してもらえるなら、いいんじゃねぇかぁ」
 ひとりの男が詠花の肩を抱いた。そして腕が胸の方にすっと伸びていく。
(あ、くそっ)
センが止めようと手を伸ばすより先に、
ピシャ
と小気味よい音がした。
「気安く触んじゃないよ! あたしゃ芸者だ、芸は売っても身は売らないんだ!」
詠花が啖呵を切る。センはひやっとしたが、意外にも男たちは素直に謝った。
 詠花は不安顔の源衛とお澄に顔を向け、にっこり笑った。
「おじさん、おばさん、この人らはあたしのお店に連れて行きますよ」
「あ、ああ、すまんな、大丈夫かい」
「もちろん」
歩き始めた詠花が、センの横を通り過ぎる。通り過ぎる刹那、
「あんたもくるかい?」
背中に痺れが走る。それほど色っぽい声で詠花は囁いたが、
「い、いや……あれ」
真っ赤になってセンが答える頃には遥か先を歩いていた。からかわれていただけらしい。
(あー、びっくりした)
詠花と男たちの姿が、薄暮れの中に消えていく。
 詠花が男たちを連れて行ってくれたことで、ようやく水色屋の周りに平穏が戻ってくる。胸を撫で下ろすと、目の端に利彦の姿が目に入った。
 詠花の行った方を、いや、もっと遠くを見つめる瞳が気になった。詠花は利彦に対しなんとなくそっけなかった気がする。あれだけ綺麗な女(ひと)だ、利彦が恋慕していてもおかしくない。
(おかしくはないけど)
利彦の眼差しは、ただ利彦の片恋であるような感じにも思えない。
(どういう関係なんだろう)
 センはちょっと首をひねってみたが、色恋の沙汰にはとんと無縁な事を思い出し、苦笑して考えを閉じた。



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