愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



瀬切りの和泉*4  ||セギリ ノ イズミ

「間違いないよなぁ」
 部屋に通されるなり、疲れと焦りを含んだため息が漏れた。それは夕方の、通りの喧騒の中に消えていく。
 センは一人部屋に通された。宿屋は普通、相部屋なのだがセンの様子に源衛夫婦が何か感じとったのか、単に恩を感じて一人部屋に通してくれたのかはわからない。どちらにせよ、気が楽でありがたかった。通された部屋は普段、病気で旅を足止めされた客のための部屋だそうだ。
 もう一度小さくため息をつくと寝ころがり、目をつぶる。深く息を吸い、吐き出す。頭に次々と浮かんでくる疑問。森で見た男とさっき見た男は同じなのか。なぜ水色屋にいるのか。この宿場内で働いているのからか。それはいつから……考え始めるときりがない。
(少し、落ち着け)
大きく息を吸い、自分に言い聞かせるが、どうも上手くいかない。
(もし、あの男がハチロクだったとしたら……危ない)
夜依や水色屋の人たちが、危ない。巻き込んでしまうかもしれない。
 ハチロクが、どこかでセンがこの宿場に立ち寄るかもしれないという情報を聞きつけ、この宿に潜んでいたのかも知れない。なにせハチロクは大きな組織だ。あの男の素性がはっきりしない状況、とりあえずは。
「……明日、なるべく早くここを発たないとな」
 答えなど望んでいない独り言だったのだが、
「センさん」
男の声が聞こえた。飛び起きる。
「ちょっといいですか」
襖の向こうから聞こえる声はくぐもっている。
(誰だ)
耳を澄ます。自然と手が刀に伸びる。
 まさか、と思いすぐ否定する。
(俺を殺しにくるならわざわざ声なんかかけないか)
センがなにも応えず息をひそめていると、向こう側から再び男が声をかけてきた。
「あの、センさん。弥久です。夜依の兄の、弥久です」
「えっ? はい、いや」
センは慌てて立ち上がり、襖を開ける。
「わ」
襖の向こうに立っていたのは、弥久ではなかった。恰幅の良い女の人で、歳は五十手前暗いだろうか。にっこり笑い、
「さあ、夕飯をもってきましたよ。弥久くんたちが腕によりをかけて作ったんだ、たんと食べてくださいな」
そう言うと手に持っている膳をちょっと持ち上げて見せた。
(あれ、弥久さんは)
目の前の女の人は怪しい人ではなさそうだが、とにかく弥久の声がしたのだ。弥久はどこだろうと首をめぐらすと、
「俺ぁこんな足だから、お梅さんに頼んだんです」
弥久がお梅という女中の後ろから顔をのぞかせた。
 お梅は部屋に入ってきて膳を置き整えると、センの顔を正面から、まじまじと見た。
「皆が言っていたけど、ほんとうに良い男だねぇ」
ため息のような口調である。
「えっ、あ、はは」
 ここまで面と向かって言われると、どう返していいのかわからない。センは曖昧に笑っておいた。
「お梅さん、センさんをからかわないでくださいよ。夜依の命の恩人に立腹でもされたら、俺が切腹もンだぜ」
弥久が苦笑し助け船を出してくれた。だがお梅は、なぜかちょっと意地の悪い笑みで弥久を見た。
「弥久くん、餅焼くのはあんたの仕事だろうけどさ、妹の“良い人”に焼き餅焼くのは、いけないよ。ははっ」
「ちょ、何言っているンすかっ!」
ぎょっと目を剥き、弥久が叫ぶ。視線がセンに向き、口をぱくりぱくりと動かした。
 お梅は気にせず、気にしまくる弥久を大笑いするとセンの方を向いた。センはあっけにとられて上手く口をきけない。
「じゃあセンさん、ごゆっくりどうぞ」
頭を下げて出ていくお梅を見送るセンと弥久。
 ……数拍の間。
「……すごい人ですね」
センが先に口を開いた。弥久はあきらめたように苦笑している。
「昔から働いている人でね、とても人を見る目があるんですよ、お梅さんは。人を見る目がある分、『このお客様はからかっても不機嫌にならない』とみると……アレですよ。すみませんね」
頬のあたりがぴくぴくしている。
「い、いや。聞いていて楽しいやり取りでした」
センも口元に笑みを浮かべて返した。
 膳に並べられた料理の匂いが、湯気にのって鼻に届く。膳の上には、飯と汁と料理ののった皿がふたつ、小鉢やら漬物ののった小皿も付いている。ごちそうだ。見ているだけで唾が出て、きゅうと腹が鳴りそうである。
「冷めないうちにどうぞ」
センはまず、小鉢に入った黄色いものに箸をつけた。
(なんだろ、これ)
と黄金色のとろみのあるたれがかかっていて、箸を入れるとすっと半分に割れた。口に入れる。
「うまい」
思わず唸る。玉子だ、ふわふわの。口に入れた瞬間、すぐにとろけて玉子の甘みと出汁の旨みが広がる。
「こんなおいしいもの食べたことない。なんていう料理ですか?」
 自然と笑顔になって、センは聞いた。弥久もにこりと誇らしげに笑う。
「それは旦那さまが作った『淡雪玉子』です。夜依の恩人のセンさんに是非食べてもらいたいからって。この宿の常連さんでも、滅多に食べられないですよ」
「ご主人が料理も作るんですか?」
「はい、元々、旦那さまはここの料理人で女将さんに惚れられて婿入りしたんだそうです」
「へえ」
しばらくの間、センが何かを食べては感嘆し、弥久はその料理について説明をした。
「あー、この漬物もうまい」
「あ、それ……俺が漬けたやつ」
弥久がはにかんだ。
「すごくうまい」
「そう言ってもらえると、嬉しいなあ。ありがとうございます」
しゃきしゃきとした歯触りの漬物で、この歯ごたえが楽しい。味加減も絶妙で、単にしょっぱいだけでなくまろやかだ。
「ごちそうさまでした」
 ぷはぁ、と大きく息をつく。満腹だ。
 センは涙が出てしまいそうだった。
(おいしい料理には、そういう力があるのかもしれないなあ)
心をほぐすような、不思議で素敵な力だ。
「すごくおいしかったです」
「ありがとうございます。こんだけ綺麗に食べてもらったらこっちも気持ちいいや」
弥久が小恥ずかしそうに頬を掻く。
「でも、夜依ちゃんと一緒にいた方が良かったんじゃないですか、すみません」
源衛は確か弥久に、今日はもう仕事を切り上げてずっと夜依といてあげなさいと言っていた。
 弥久が首の後ろを掻きながら苦笑した。
「ああ、気にしないでください。夜依が俺に、センさんに美味しいものでも食べさせてって言ったんで。よく考えてみりゃ、そりゃそうですよね。俺が夜依の傷じぃっと見てても怪我は治らねぇし」
それはそうだ。
 弥久に出してもらったお茶をひと口すすり、センは話を続ける。
「夜依ちゃんは、ここの湯場で働いているんですよね。兄妹で同じ店に奉公しているって、よくある話なんですか」
あまり聞いたことがない。弥久も首を振る。
「奉公先に家族がいるとどうしても甘えやたるみがって考えるとこが多いから」
「ああ、確かに」
 弥久が一瞬、探るような、躊躇するような目をセンに向けた。
「なにか?」
見つめ返すと弥久はびくりとし、目を逸らした。
「あ、ごめんなさい。……えーと、実は俺と夜依は十二年前に源衛さんに拾われたんです。だから一緒に店に置いてもらっていて」
弥久の瞳がそわそわと落ち着きなく動く。
(やばい、深く聞きすぎたみたいだ)
 どうも人との距離の測り方が上手くない。人の気持ちを汲み取る力が低いと言うのかもしれない。なるべく人と深くかかわらないようにしようとしてきたのだから仕方がないが、今のままではいけない。
 千花を探すと決めたのだから。
 そうなると弥久にも千花のことを聞いてみた方がいいだろう、が、どう切り出せば良いかわからない。
(いきなり『千花知ってますか』って聞いたら怪しまれる気がするし)
時に仲良くなり、時にさりげなく、そういう風にして千花の所在を探しあてなくてはいけない。
(難しいな)
「あの、センさん?」
 センが急に黙り込んでしまったからか、弥久が声をかけてきた。少し声が固い気がする。センは急いで笑顔を向ける。
「あ、ごめんなさい。なんですか?」
「センさんは、あの……本当に『ハチロク』の方じゃ、ないんですか」
いきなり出た『ハチロク』という言葉に、内心どきりとした。
「まさか。俺はハチロクじゃないですよ、全然、関係もない」
少し嘘をついた。まあ、これくらいは人付き合いの上では必要だろう。弥久は少し表情を穏やかにした。
(ハチロクだと何かまずいことでもあるのかな?)
たしか、お澄がセンに同じことを聞いた時も弥久は暗い顔をしていた。
 弥久に何か後ろめたいことがあるとは思えないが、悪人や狂環師でなくともハチロクを良く思っていない人はいるらしい。
(それともただ単に、ハチロクだと普通の客以上に気を使うからってことかな)
 この国の政(まつりごと)を取り仕切っている朝暮廷は“公”。ハチロクは朝暮廷とは関係ない組織だがクルイを狩るという使命のもと、ほとんど朝暮廷に属する組織と思われているそうだ。だからハチロク相手だと朝暮廷の使として考え、少し身構える人もいるらしい。
(それにしては反応が異常だけど)
身構えるというより、怖がっているようだ。
(まあ、それこそ突っ込みすぎだからな、聞くのはよそう)
人は誰だって、突っつかれたくない心の傷みたいなものがあるのだ。



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