愛しみ罪代―カナシミ ツミシロ―



瀬切りの和泉*1  ||セギリ ノ イズミ

 ミンミンと、蝉が時雨と鳴き散らす。
 ふと殺気を感じて振り返ると、いやに静かな森が広がっていた。誰もいない。
 ふうとため息をつく。
(気のせい、か?)
今まで殺気を感じて気のせいだったことはないけれど、どうやら自分の勘もアテにならなくなってきたかな、と思いながらまたセンは歩き始める。
 この道をもう少し行くと森がぽつぽつと開けてきて、宿場が見えてくるはずだ。
(なにか、千花に繋がる話は聞けるかな)
違う意味でため息が漏れる。青い空を仰げば憂鬱な気分も少しは晴れるだろうか。ぼんやりと空を見上げ、歩いてみた。夏の風が、首筋の汗を乾かしていく。
 心地良い風が心を軽くしていく――途端。
 がっ
 と何かが体にぶつかり、よろける。
(なんだ、なんだ)
なんとか踏ん張って体勢を立て直し、自分に当たってきた何かを探した。
 あった、というか、いた。
 子どもだ。探す間もなくその女の子は街道の真ん中にうずくまっている。どうやら森の中から転がり出てきたらしい。動かない。
「だ、大丈夫?」
尋常な様子でない少女の息はぜいぜいと上がっている。
「た、すけて、ください」
 喘ぎの合間に発した少女の声は確かにこう言った。
「え?」
なにから、と聞く間もなく、がさがざと森の中から男が数人出てきた。
(なんだ、こいつら)
見るからにガラが悪い。どろんと濁った双眸に着崩した派手な柄の着流し。ばさばさに伸びた髪と無精ひげが、いかにも野暮ったかった。
 男たちの中でも一際は体が大きいひとりがずいっとセンと少女の方へ寄ってくる。
「なんなんですか、あんたたち……っ!」
センが少女の前に立ちそう言う矢先、がつんと横面を殴られた。一間(一八〇センチメートル)程も吹き飛ばされる。少女が小さく悲鳴をあげる。
(痛っ)
口の中が切れた。一気に口の中に血の味が広がり、血唾を吐く。センを殴った男はぎろりとセンを睨めつける。
「ガキは黙ってろやぁ、殺すぞっ!」
唾を吐き散らし言うと少女の腕をとり、無理やり立たせようとする。
「いやっ、離して!」
少女が甲高い悲鳴を上げる。
 センは無理やり少女と男の間に割って入り、男の腕を掴み返した。
「嫌がっている女の子に無理に手を出すのは、よくないですよ」
曖昧な笑みで言ってみるが男は不愉快そうに顔を歪め、言葉より先に自由になっているもう片方の拳を振りおろしてきた。
(ったく、血の気の多い……)
 内心ため息をつき、センはその拳をたやすく受け止める。そのまま両方の手に力を込めていく。みるみる内に男の顔がゆがんでくる。さっきとは違う意味で、だ。たまらなくなったのかふっと男の手が少女の腕を放す。センも拳を受け止めた方の手を放してやった。
 この男、図体がでかく、力はそれなりに強いようだが武術の心得はないらしい。動きがわかりやすすぎる。おそらく他の男たちも似たようなものだろう。
 細身のセンに拳を受け取られた上に力負けしたのを剣呑に思ったのか、周りの男たちの雰囲気がぴりっと張り詰める。
(さすがにこの人数を一度に相手にするのは、面倒だな)
男の数は全部で四人。雰囲気からして、匕首の一本や二本、懐に隠している。
 センは後ろを振り向き、へたり込んでいる少女に笑いかける。
「いい? 俺のうしろから離れないでね」
少女は不安そうな顔を、こくんとうなずかせた。
 男たちの方に向き戻り、誰が動くよりも早くセンは目の前男の股間を蹴り上げる。びょんとはねて弛緩した男の着物を持って自分の方に引き、足を払う。手を放す。ふっと一瞬男の体は浮き、ふらふらとセンの横をよろける。その背中を軽く押せば、あとは自然に任せて男は地面倒れ込む。倒れた背を踏みつけると、男が蝦蟇のように鳴いた。
 あまりに速い一瞬のことに、誰も口がきけなかった。センはきっと鋭い目つきを作って、残りの男どもを順々に睨み付ける。
「あまり手荒い真似は好きではないのですが」
そう言いながら、腰に差した刀の鯉口を切る。
 男たちの顔がこわばる。
「子どもに手を出す下衆は、もっと好きではないのです……どうでしょうか」
引きますか。センは怖い顔を止め、男たちに笑いかけた。
 ひとりの男が目を泳がせながら言う。
「べ、別に、そのガキが道に迷ったて言うから先の宿場まで送って行ってやろうと思っただけだ」
「あ、そうだったんですか」
センは笑顔のまま答え、男に乗せている足をどける。それでも鯉口から手は離さない。
「では、この子は俺が送っていきますね」
 数瞬の静けさ。
「ちっ、覚えてろよ。ガキどもが」
男のひとりが捨て台詞を吐き街道を駆け逃げていくと、芋のつるに引っ張られるように他の三人も不格好に逃げて行った。
(ガキどもって、ひどいな)
ふう、とセンはため息をついてから、後ろを向く。
 少女は大きな瞳をさらに見開いて、センを見ていた。ふたつに分けて結わえた黒い髪が、さらさらと風に揺れている。
 センはちょっとかがんで手を伸ばす。
「ほら、大丈夫? 立てる?」
言った途端、少女の目じりから涙がついと流れた。
(え、う、わっ)
一度流れ出した気持ちは、止まらない。少女がセンにすがり泣きだした。
「うぅわぁあ、ごわ、がった。こわかったよぉ〜」
(ああ、怖かったのか。そりゃ、そうだな)
 あんなおっかない連中に追いかけまわされ、連れていかれそうになったのだから。人の心を解する力が不足しているなと苦笑する。
「もう、大丈夫、大丈夫だよ」
センは女の子の背中をとんとん軽く叩いた。大丈夫、と言うたびに頭の隅にあの人の笑顔が浮かんだ。夜が怖いという幼い自分に、あの人は大丈夫だと言ってくれた。
 女の子はまだ泣きやまない。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
センは空を見上げ、ぼんやりと呟いた。ちらちらと、あの人の姿が脳裏をかすめるので、泣きたくなる。
 自分も大丈夫と言ってもらいたい、そんな気持ち。なにがどうからなんて難しいことは要らない、ただ、大丈夫だと言ってほしい――そんな気持ち。


「お嬢ちゃん、名前は?」
 少女が泣きやむのを待ってセンは聞いた。少女はまだ座り込んだままだが少し落ち着いたようだ。手の甲で涙をぬぐうと、鼻に詰まる声で言った。
「あたし、あたしは夜依(やえ)と言います。あの、ありがとうございました」
夜依はぺこりと行儀正しく頭を下げた。
「やえ、ちゃんか。きれいな名だね。俺は……セン。よろしくね」
(本当の名は、言わないでおくか)
千朱原千雨の名は自分で思っている以上に知られていて、目立つということをセンはこの前知った。誰の耳があるかわからない。
(なるべくひっそり旅したいもんな)
誰かに襲われても、センは逃げることしかできない。
 センは夜依に手を差し伸べる。
「立てる?」
センの手をとり立ち上がろうとした夜依が顔を歪め呻いた。よく見ると、右の足首が赤黒く腫れている。
「あの、さっき、あの人たちに石を投げられたのが当たって」
センの視線に気づいたのか、夜依が言う。
(ちっ、あいつら、本当に酷い奴らだ)
「まあ、俺も人のことは言えないか」
「え、なにか……」
「いや、なんでもないよ」
自嘲とともに呟いた言葉も微風に流して、センは笑った。
 夜依の前に背を向けて立ち、中腰になる。
「ほら、その足じゃ歩けないでしょう。おんぶしてあげる」
「え、でも」
何故か頬をほの染める夜依の言葉を無視して「ほら、ほら」と促す。
「じゃあ、お願いします」
夜依がセンに体重を預けた。夜依の体は、思った以上に軽かった。
 歩き始める。
「重くないですか」
「うん、全然。軽くて小鳥の羽みたい」
思った通りを言って笑いかけた。目が合ったが夜依は赤い顔をしてうつむいてしまった。
(やっぱ足が痛いのかな?)
 気にせず話を続ける。この先の宿場についてだ。
「この先にあるのは、確か『和泉宿(いずみしゅく)』だよね。君はその宿場の店の子なの?」
「はい、『水色屋(みずいろや)』っていう宿屋の湯場で働いています」
「たしか和泉宿って大きな宿場だよね」
「はい。和泉宿は千本央道、北の二十三番目で、街道と広葉路(ひろはじ)三本が交わっているんです、だから人の流れもとっても多いんですよ」
夜依は嬉々として和泉宿のことを語る。宿場によせる夜依の想いが伝わってきた。
 千本央道は国の南北を背骨のように伸びる街道だ。街道とは朝暮廷――国の政(まつりごと)一切の中心で、朝暮“帝”を至上とする――によって設けられた道で、全国の主要な場所場所を繋いでいるそうだ。広葉路というのは桜や楓の葉脈のように縦横に、無数に伸びる道のことをいう。
 広葉路でも幅が広くて立派なものも多くあるが、本当の意味での街道は五本くらいしかないらしい。その中でも千本央道は一番の距離を誇り、当然央都にも続いている。
(央都、か)
自分もそこに住んでいたのだと思うと少しだけ懐かしく、忌々しい。央都にはハチロクの本部であり、総領家・千朱原の屋敷がある。十年ほども前、センはそこで人を失い、多くの命を奪った。
 思わず、唇の端を噛む。
「センさん?」
不安そうな夜依の声でふと我に返る。いつの間にか立ち止ってしまっていたらしい。えへら、と笑みを作り、大丈夫だよ、と言う。
 その瞬間、ざっと血の気が引くほどの寒気を感じた。
 振り返る。
 ちらりと一瞬、残像のような人影が見えた。
 この寒気は殺気ではない、敵意のようなもの。少しだけ見えた人影は、坊主頭の男。それ以上のことはわからないが、直感する。強い。
――ハチロク。頭の中にその存在がよぎる。
(追手か、でも殺意は感じなかった、夜依ちゃんがいるからか)
一瞬の内にいろいろなことが頭の中を駆け巡る。
 センの父親・千朱原千影は次期総領となる娘・千花の汚点であるセンを殺そうと、ハチロクの上層にいろいろ指示をしているのだ。追手の一人やふたり寄越すだろう。
「センさん、やっぱり重いですか」
 夜依が心配そうな声をかけてきた。
「あ、違う違う。ごめんね、ちょっと、ぼうっとしちゃって」
(早く夜依ちゃんを送らないと)
センは足早に歩き始める。仮に今ここで襲われたら、夜依を巻き込んでしまう。
 少し進み、もう一度ふり返ってみたが、誰もいなかった。



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