千。



千呪獄の月日向*5  ||センジュヒトヤ ノ ツキヒナタ

 香和ががむしゃらに槍を振り回す。避けるのも面倒だ。間合いの長い槍では刃がセンに届くことはない。このまま頭を潰そうとさらに手に力を込めたとき、香和の力任せの槍の柄が、センの首に当たった。構うものか、と思ったのに自然と体から力が抜け、香和のことを離してしまった。
「この化物がっ」
香和は荒い息で吐き捨てると、これを機とばかりに、一気に後ろに飛び退く。
 センは血に濡れた手をぼんやりと眺めた。自然と力が抜けたのは、きっと生き物としての限界がクルイとしての衝動に勝ったからだろう。センの体はとうに限界を超えている。これ以上は駄目だと教えているのだろう。
「だからどうした」
独りごちる。にい、と笑みが口に浮かんでくる。
 限界なんて、狂いに呑まれるためにある。
 月を見上げる。浮かぶ月は雨ざらしの骨の色。
「はははっ」
 センは駆け出す。足は軽い。目指すは香和。あっという間に距離は詰まる。香和は顔をひきつらせ、センを見つめたまま立ちつくしている。
 香和が動き出したのは、センとの間が三尺ほどになった時だった。はっと気づいた表情になり、逃げようとした。
「逃がさねぇよ」
センは腕を伸ばし香和の袖を取る。思い切り引き寄せながら刀を振りかぶり、首めがけ振り下ろした。
「くっ」
香和が体をひねってそれを避ける。首は落とせず、肩を斬っただけだった。肉を斬った感触。笑みがこみ上げてくる。次は確実に首を落とそう、そしたらもっと愉快になる。
「おんしこそ、人を殺すのが楽しくて仕方がないようじゃないか」
「ああ、楽しいよ」
 肩の傷を押さえながら呻く香和の言葉に頷き、センはもう一度刀を振る。香和が槍の柄で受け止め、器用に回すと、刀がセンの手から離れた。その隙に香和はセンの足を払った。後ろに二、三歩よろける。
「手間をかけさせるな、逝ねっ!」
香和が突き出した槍の刃先はセンの眉間を目がけている。
 やけに遅く流れる一瞬。センは刀を持っていない。本能的に両手で額を庇うが、これでも結局槍は貫くだろう。
 嫌に鈍い音がした。
 センは地面に倒れた。というより、香和の槍に押し倒された。額を片手で庇ったが、やはり刃は手を貫いていた。固く握った手から血が流れる。センは動かない。
 聞こえるのは香和の荒い息遣い。
「死んだか?」
ほとんど確信した口調だ。
 センは口元で笑った。
「死んでねぇよ」
手を貫く刃をさらに強く握り、顔の前からどかす。
「なっ」
香和の驚き顔。センは空いている片手で手探り、すぐそばに落ちていた刀を取る。
 香和童子が槍をセンから抜いた。もう一度、セン目がけ突き出してくる。センは寝たままそれを受けた。
キィンッ
火花。一瞬、仄暗く辺りを照らす。
 槍の先一寸くらいが折れて、地面に刺さった。
「くそっ」
香和童子は口の端を噛み、歯を食いしばってセンをにらんだ。口の端から、しゅうしゅうと息がもれている。
 香和に眉間を貫かれそうになったとき、センはとっさに両手で額をかばった。生き物としての本能だ。でもそれは無意味なこともわかっていた。だから、クルイとしての本能に身を任せた。殺すためには体が動かなければいけない。生きていなければ殺せないから。そうしたら自然と片手を下げていた。
 刃先が手に刺さった瞬間、思い切り握った。結局手を貫通したが、頭の中身までは達していない。もう片方の手では香和を殺すための刀を探している――これがクルイの本能。
 香和の狼狽は明らか。殺したと思ってほっとしていたところが生きていて、しかも武器を壊されたとあっては当然だろう。がむしゃらに槍を突き出してくる。そんな攻撃が当たるわけがない。稚拙な槍をあしらいながら、センは冷静に殺す時機をうかがっていた。香和の顔の焦りが広がっていく。
 もうすぐ、殺せる。
「くそっ、化け物の分際で、師に楯つこうというか、千呪っ!!」
そう叫びながら放たれた香和の一撃を、センは避けなかった。手で受け止める。刃先のない槍は香和の力だけでセンの手を刺し抜いた。骨の砕ける感じがした。流れ出した血が皮ふ伝い、音もなく地面に染みていく。痛みはないが、ただ不愉快だ。
「俺をクルイにしたのはお前じゃない」
やけに平淡な声が出た。
 ぐ、ぐ、っと手に力を込めていく。香和が必死で引き抜こうとしているが、離してやらない。
「言い直せとは言わない。むしろ言うな。ただ、死ね、殺す」
パキンッ
刃が、折れた。
「ひっ」
香和童子の喉が鳴る。
 香和は槍を放り出し、センに背を向け走りだす。
「逃がさねぇって言ってんだろ」
数歩先にいる香和に手を伸ばす。水干の襟を掴んで、引き倒した。
「ぐっ、がっ」
倒れた香和の手を踏みにじる。
 瞬く間だけ、静寂。
 センは刀を逆手に持ち、真下に構える。切っ先は、香和の首のくぼみを定めている。
「やめてくれ」
か細い声。すこし掠れている。香和の目の奥に、子どもらしい恐怖が揺らめいた。
ぴんっ
と切っ先から血雫が香和の白肌に垂れる。
 センは首の窪に落ちた血の点目がけ、刀を突き立てた。
「ぎゃ、がっ――――――――っ」
消えていく、消えていく、命の響。最期の声は、声にさえならない叫び。
「死んだ、か……?」
 香和童子は死んだ。センが殺した。
 ひどい死に顔を確認すると、センはままならない体で無理に刀を引き抜き、血振りもせず鞘に収めた。
 引いていく、引いていく、クルイ、クルイ。思い出すのはあの人のこと。
(ああ、俺は、また……)
――命を殺めた――



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