千。



一花笑みの徒戯*4  ||イッカエミ ノ アダソバエ

「センさんは、どこの出身だェ?」
 きく婆がセンに聞く。夕凪はそれを端っこの方で聞いていた。夕食後のこと。センは何故か曖昧な笑みを浮かべた。
「あー、えと。一応、央都ですけど……」
「まァっ!!」
(央都……)
夕凪も声こそ出しはしないが、驚いた。央都に行ったことがある人なんて、この村にはひとりもいない。それほど遠いところだ。
「随分遠いところから旅をしているんだねェ」
「ええ、まあ」
「一人旅じゃあ、家の人も余計に心配しとるだろうねェ」
 きく婆の言葉に対し、センはとても綺麗な笑みを返した。綺麗すぎて、
(作り物みたい)
見とれるというよりも冷たい感じがして、見ていたくない。
「心配していないと思いますけど」
「あれェ、そんなこと言うもんじゃねェ。心配しているよゥ」
きく婆の目は優しい。きく婆は“待つ身”をよく知っている。“待つ身”は口でどんなことを言っていようと、旅に出た者を心から心配し、無事を祈っているということを。
「姉がいたんです」
 センは静かに話し始めた。懐かしそうな笑み。
「母さんは俺が小さい時に亡くなっていて、姉が母代りでした。けっこう歳が離れていたんで、本当によく面倒を見てもらいました」
「そォかい」
きく婆の顔も優しい。
(お姉ちゃんが、いた……わたしと同じだ)
夕凪にも姉がいた。いた。今はいない。きっとセンの言葉もそういう意味だろう。きく婆もその隠れた意味を気づいているようだったが、触れなかった。
「父さんのことは、ほとんど覚えていないです……仕事一筋の人だったんでしょうけど」
 何故かセンは皮肉そうに笑う。その笑みがふっと気まずそうなものに変わる。
「あ、すみません。余計なことまで話しました。普段あまり人と話をすることが無いので、加減がわからなくて……あの、ごちそう様でした、本当に美味しかったです」
センは立ち上がり、へこっと頭を下げて足早に部屋を出ていった。
 センがいなくなった部屋、夕凪ときく婆の間に沈黙が落ちる。
 しばらく黙り合ってから、きく婆が口を開く。気を取り直そう、とでも言いたげな口調。
「やっぱりセンさんは良いなァ」
センが出ていった方にやけに熱い視線を送っている気がする。まさか、とは思うが。
「婆さま、その歳でセンに懸想するのはよしてね、ほんとに」
苦笑しながら言うと、きく婆は心外そうに口の先をすぼめたが、
「違うよォ、お夕の婿にだよォ」
と、平然と言ってのけた。夕凪の体がかっと熱を帯びる。
「はっ!? 婆さま、冗談よしてよっ」
 センにしてもきく婆にしても、どうしてこういうことをさらっと言うのだろう。
(何、ふたりは実は裏で繋がっていて、わたしのことをからかっているの!?)
などとおかしなことを考えていると、きく婆は小さな瞳を意外そうに見開いた。
「あれェ? なんだ、センさんはお夕の想い人じゃなかったのかェ?」
「そんなわけないでしょっ、婆さま、いい加減にしないとわたしも怒るからね」
夕凪が本気で怒れば怒るほど、きく婆の笑みは大きくなる。夕凪のことをからかっているからだ、わかっている。わかっているけど恥ずかしくてたまらない。
「なんだァ、本当に違うのかい? てっきりお夕が惚れた男を村に引き入れる口実に、森で怪我しているところを助けたなんて言ったのかと思ったよォ」
「ちょ、もう!」
 孫娘を面白いようにからかえて、きく婆は楽しそうだ。
「センさんなら、このお婆の目に適うのに。品があるし、物腰も柔らかいしなァ。それに何と言っても、顔がいいじゃないかい」
きく婆は乙女のように頬をおさえ、くねくねしている。
(顔って……)
冗談でも孫娘の夫を選ぶのに、一番の決め手が顔とはどういうことだろうか。恥ずかしいのを通り越して、呆れてしまう。
(でも確かに、センってかっこいい……かも)
センは背が高い。六尺(約一八〇センチメートル)以上あるかもしれない。色も白くて全体的にすとんとした印象。鼻だって村によくいる団子っ鼻ではなくて、すっと通っている。
 かっこいい、と無意識に思った自分に驚いた。今まで村の若い男たちにそういう感想を抱いたことはなかった。雪村は格好良いとは思うがそれは雪村の強さが格好良いのであって、センに抱く想いとは違う。とくんと胸が回る。
(なんだろう、この気持ち)
 そのとき、きく婆と目があった。にたりにたりと意地悪そうな顔。
「若いってのは良いねェ」
頬に血がのぼる。
「あのっ、婆さま! 本当に違うからね」
「はいはいよォ。センさんを風呂に案内してくるからお夕、その間にここを片してセンさんの寝床を作っといてなァ」
さすがにからかい過ぎたと思っているのか、きく婆は苦笑している。
(反省してくれたなら、まあ良いけど……)
これ以上からかわれたら、本気で体に悪い。
 きく婆は反省し部屋を出ていった、と思ったのだが。部屋を出ていく間際、ちょっとふり返ってきく婆が言った。
「婆はセンさんを風呂にやったら寝るからねェ。……センさんの寝床になら夜中忍び込んでもこの婆は許すよゥ」
にやり、と笑って出ていった。
「ちょっい! 婆さまっ」
急いで廊下を見るが、もうきく婆はいない。なぜこういう時だけ早いのだ。
 荒い息を整える。
(婆さま、変だよ絶対、今日。センが来たからって、ちょっとはしゃぎすぎ……)
そう考えて、あ、と気づく。
「こんなに楽しそうな婆さま見たの、久しぶりだ」
(この家にわたしと婆さま以外がいるのも……)
 失くした物は失くした日から一度たりとも戻ってこなかった。それが今、センのおかげでほんの少しだけ戻りかけている。
(それは違うか)
失くしたものは戻らない。新しく、温かい繋がりができようとしているだけだ。
「家族、か」
(センがずっとこの家にいてくれたら、家族が増えるのになー)
「って!」
知らぬうちにそこまで考えていた自分が恥ずかしい。
 夕凪は考え事を断ち切るように、があがあと夕飯の後片付けをはじめた。



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