名もなき死体に捧げる花・小話



それはたぶん、しあわせな夢

※シリアス・病んでいる思考がある話です。苦手な方はご注意ください。
※作中の思想・思考は表現上のものであり、それらを賞賛するものではありません。


 真夜中、桃が眠っている山村を見つめていた。
 山村の顔は本当に綺麗だ。この男は多くの人を殺してきたが、こうして眠っている顔は天上にいてもおかしくない。
 宿屋の一室、六畳間には桃と山村しかいなかった。宿屋は相部屋が常だから流行っていない店(たな)なのだろう。宿場中が寝静まる時刻、明かりといえば何時になく青白い色をした月くらい。その青い光を受けた桃の頬は死人のように見える。整い過ぎた顔に表情がまったくないところも、そう思わせる一因であった。
「おにいちゃん」
 呼ぶ声は低い。幼子らしからぬ声音は、眠りの中にある山村には届かなかい。
「こわい夢をみたの……おにいちゃんが、わたしを置いて、いっちゃうのよ」
顔は変わらぬが、声に孕むのは怒りか。山村は目を覚まさない。
 山村は気配に敏く、わずかでも人が近づけはすぐにわかる。寝ている時も同様だ。それがこうも深く眠っているのは、桃を信頼しきっている証であろうか。
「ねえ、どうすれば、いっしょにいてくれるの」
 怒気は不意に湿りを帯び、人形のような頬に涙が伝った。桃は山村の枕元に座る。山村の頭の上から顔を覗き込む格好だ。
「置いていくなら、殺してよ」
殺して、と繰り返す。桃と山村は出会った時も同じような話をした。あのときの桃は殺せる存在ではなかったけれど。
「今なら、殺せるわ」
ひとつ咽び、殺してほしい理由を語り出した。
「わたしが邪魔なら、思い出でもいいから。ねえ」
 おにいちゃんはもう人を殺せないでしょ。
 でも殺したらもう、ずっとずっと忘れられないでしょ。苦しいでしょ。
 死ぬまで、こびり付けるでしょ。
「だからわたしを殺してよ」
 桃の言葉は眠る山村を素通りし、暗い部屋に吸い込また。
「どうしたら、わたしを連れて行ってくれるかな」
山村を見つめ続けたまま、桃は固まっていた。まばたきひとつ、しなかった。
 おもむろに、山村に手を伸ばす。白く滑らかな首に、両手を当てる。山村は目を覚まさない。桃の小さな手では、ふたつあっても山村の首に回りきらなかった。
 山村の肌が沈む。桃が力を込めたのだ。桃の顔に表情が浮かぶ。微笑んでいた。口許に小さな笑みを浮かべ、思い切り山村の首を絞めている。
 山村の喉が鳴る。かすかに顔が歪んだ。呻き、うっすらと目を開けた山村と桃の目がばちりと重なった。
 桃の目から涙が落ちた。頬を伝うことなく真下に落ちたそれは、山村の瞳に落ちた。山村は目をつぶるでもなく、真っ直ぐ桃を見ていた。山村の目じりから桃の零した涙が流れる。
 桃が山村から離れた。
「桃、ありがとう」
山村の声は少しかすれ苦しそうだった。
 小さくしゃくり上げた桃の泣き声はどんどん大きくなっていく。桃は大声で泣き出した。この子どもが大きな声で泣くことは珍しい。いつも静かに涙を流すだけで、当人はどう感じているのかわからないが、堪えているように見える。
 泣きじゃくる桃の体に山村が手を伸ばした。ゆっくりした動作で桃を引き寄せ、しっかりと抱きしめた。
「どうして欲しいんだ」
耳元で囁く。桃の体がびくりと震えた。
「欲しいんじゃなくて、あげても良いの」
「何を」
「ぜんぶ。だから――」
ふふっと山村が笑い声をあげた。桃が目を丸くする、が。
「う、わ」
桃は山村の笑顔をしっかりと見なかっただろう。その前に山村が、桃の頭も抱えてしまったから。
「これはきっと、夢だな」
 はくはくと桃の口が動くが声にはならない。それだけ抱きしめる力が強いのだ。
「俺には、過ぎた夢だ」
嗤うような言い方。髪に指を絡めるように桃の頭を撫でる。
「ごめんな。ごめん」
頭を撫でながら謝り続ける。
 桃の方はいつの間にか目を閉じ、動かなくなっている。
 青白い月の光に照らされて、ふたりきりの夜が更ける。
 単調な言動を繰り返す山村は人形のようであった。
 動かず生気の感じられぬ肌色の桃は死人のようである。
 音もなく、夜が更ける。


 起きたとは思うのに、目が重くて開けにくかった。桃は体を起こした。
「おにいちゃん」
すぐそばにいるはずの山村を呼んだ。返事がない。変だなと思うのと同時に、ちらりと頭の中に何かがかすめた。厭な感じがした。
 目をこすって、無理やり開かせる。重い目蓋を持ち上げても山村の姿はない。
 もう一度、呼ぶ。声には不安の色が濃い。返事はなく、六畳の部屋はがらんとしていた。
 夢だったのかもしれないと、桃は思った。どこからが夢だろう。山村は、山村との日々は夢だったのか。そんなことを考えた。
 ひょっこり頭をのぞかせた今見た夢の名残が、するすると全体をさらす。山村を殺そうとした夢だった。首を絞めて、そこで終わる夢。夢の中でも夢を見ていた気がするけれど、そこまでは思い出せなかった。
 それなら、ここに山村がいないのは非道い夢を見た桃へのお仕置きなのだろうか。だから山村がいなくなってしまったのだろうか。
「ごめんなさい」
自然に零れた涙と言葉。答える声は少し笑っていた。
「どうしたんだ、桃」
 山村は襖に手をかけて立っていた。手拭いを持っているから井戸で顔でも洗ってきたのだろう。
「怖い夢でも見たのか」
珍しく山村は機嫌が良いようだ。
「ほら、髪」
山村が手招きする。言葉は少ないが、いつもよりわかりやすい優しさがにじんでいる。怖い夢が遠ざかる。
「うんっ」
 桃は駆け寄って山村に抱きついた。さすがに山村は抱き返してくれず、ぐいと引き離される。それでも桃は嬉しかった。笑って山村の顔を見上げると、その首筋に赤を見た。
「おにいちゃん、それ、どうしたの」
親指の先くらいの大きさが赤くなっていて、痣のようにも見えた。肌を強く、たとえば絞めるように押せば、こうなるだろうか。意味の無いことを考えた。
「ああ、これか」
山村はかすかに笑み、それを撫でた。
「虫にでも刺されたんだろう」
春とは名ばかりの早春、季節外れの理由だった。
 山村の声、仕草、表情。恰好良い、だけではない。締め付けられるような気持ちの名前を桃は知らない。
 夢と重なる痕。山村を殺そうとした、怖い夢だけど――それはたぶん、しあわせな夢。残酷で、しあわせな。
 湧き上がる想いに我慢が聞かなくなって桃は思い切り笑った。
「どうした、気持ち悪い奴だな」
冗談めかして言われ、ますます笑みが濃くなる。
「いい夢を、みたの。たぶん、いい夢よ」
そう言って、桃は髪を結ってもらうため山村に背を向けた。
 忘れないようにしよう。今日の夢は山村と一緒にいるための、ひとつの方法を教えてくれたのだから。

 山村に背を向けた桃の顔には大人びた微笑。冷たい刃を思わせる笑顔。たぶん桃本人だって、自分がこんな表情をしているなんて知ない。

- 終 -

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